半坪ビオトープの日記

小林一茶墓、旧宅


戸隠高原から北東に、黒姫山(2053m)と飯縄山(1917m)の間を抜けて野尻湖に向う。
野尻湖の手前、柏原は俳人小林一茶の生まれ故郷であり、晩年を過ごした旧宅も残されている。
旧宅の史跡指定を記念して、昭和35年に記念館が開館した。一茶の生涯と文学など、一茶の自筆、関連資料が展示されている。

記念館に隣接し、一茶とゆかりのある俳人の句碑が並ぶ小円山公園があり、一角に俳諧寺が建っていて、お堂の前には旅姿の一茶像と句碑がある。
初夢に古郷を見て涙かな 一茶

地元の有志が一茶を偲んで、明治43年に建てたお堂で、松柏山俳諧寺という。ここを訪れた著名な俳人達の作品が格天井に掲げられている。

俳諧寺の裏手、小丸山の墓地に、小林家一族の墓がある。一茶9歳の年、明和8年(1771)に建てられ、一茶も眠っている。

生涯二万余句の俳句を残した小林一茶は、宝暦13年(1763)に生まれ、3歳で母を亡くし、8歳で迎えた継母になじめず、15歳で江戸に奉公に出された。江戸の奉公先を転々としながら俳諧を習い、修行のために30歳から36歳まで関西・四国・九州を廻り、ようやく俳諧師と認められるようになった。39歳で帰京した年に父が亡くなり、遺産分与で弟と対立した。7年後に遺産を折半することで弟と契約を取り交わし、51歳でようやく遺産交渉を和解した。街道沿いにあった主屋は弟が相続し、柏原宿の大火で焼失した後再建された弟の家がこの家である。

50歳で帰郷した一茶は、52歳で結婚したが、4人の子供と妻も次々と亡くなり、再婚、三度の結婚をした。65歳の夏、柏原宿の大火に遭遇、母屋を失い、焼け残りの土蔵に仮住まいのまま、その文政10年(1827)11月19日に亡くなった。間口3間半、奥行き2間2尺の茅葺屋根の素朴な土蔵である。
是がまあつひの栖(すみか)か雪五尺 一茶

昭和32年俳人の旧宅としては唯一の国の史跡に指定され、当時のままに復元されている。

旧宅の左裏に小さな俳諧寺一茶位牌堂が建っている。