半坪ビオトープの日記

犬吠埼、大杉神社


銚子大橋利根川を渡って千葉県銚子市に入り、犬吠埼で泊まった。犬吠埼の「埼」の字は、岬では珍しい。普通の岬や崎は山が海に迫っている地形を示し、石偏の碕は石がゴロゴロした海岸が突き出た地形を示すが、土偏の埼は草木が生えない荒れ地が突出している地形を示す。
昔から海の難所とされてきた犬吠埼に建つ犬吠埼灯台は、日本に6つしかない第1等灯台であり、世界灯台百選にも選ばれている。

銚子から走る銚子電鉄の終点である外川駅南の海岸近くに、小さな大杉神社があるが、それを示すものは見当たらない。石段の先に小さな社が見える。

鳥居の手前には狛犬が構えている。創建は不明で、猿田彦命が祀られているというが定かではない。

鳥居の先にもまた石段があり、狛犬もいて境内全体が古い歴史を感じさせる。この地にはかつて渡海神社があったが、その創祀は和銅2年(709)といわれる古社で、東海鎮護と銚子半島の鎮めとして創建されたという。貞元元年(976)の津波で流されたため現在地よりさらに西に遷座され、さらに延宝2年(1674)に約1km西の高神西町の現在地に遷座されたとされる。少なくとも江戸時代には、ここ外川の日和山の場所には、常陸国阿波村(現茨城県稲敷市)の大杉神社が分祀されたという。霞ヶ浦利根川に挟まれた稲敷市の大杉神社信仰は、江戸時代に海運が盛んになるに従い、利根川周辺から江戸へ、東日本各地へと広がっていったといわれる。この大杉神社が地元では「あんばさま」と呼ばれるのは、大杉神社の総本社が阿波(あば)村にあり、神木の大杉が「あんばさま」と呼ばれて信仰されているからという。

かなり広い境内の左隅に建つ社殿の扉をちょうど開けるところに出くわした。
社殿の右手に見えるブロックで造られた建物は稲荷神社で、中には小さな石祠がいくつも祀られている。

こじんまりした社殿だが、虹梁には龍、木鼻には狛犬か獅子と思われる彫刻が施されている。

社号標らしきものは見当たらず、唯一確認できた文字は、この虹梁の奥の扁額だけであった。

社殿の右手に二つ石祠が祀られている。社殿の扉を開けたおじさんの話では、左手の祠は恵比寿様を祀っているそうだ。右手の小さい祠は、西に移っていった渡海神社の分社という。ここは何度も津波に襲われたといわれるが、海辺からは十数mも高くなっているのに恐ろしいものだと思った。境内には源俊頼の歌碑があるということを後で知ったのだが、そのときには気づかなかった。

境内入口石段の左手に高さ4mほどの石碑が建っていて、「銚子漁業発祥地外川港 開祖崎山治郎右衛門碑」と刻まれている。外川漁港は、紀州和歌山から移住してきた崎山治郎右衛門により、万治元年(1658)に築港されている。この石碑の石は、外川港築港時使用した堤防礎石が用いられている。現在の銚子港がある利根川河口付近は、かつては潮の流れが急で海難の多い場所だった。昭和初期に銚子港が整備されるまで、この外川港が銚子の漁業の中心地で、一時は「外川千軒大繁盛」といわれるほど村は栄え、戸数も千軒を超えていたという。