半坪ビオトープの日記

飯名神社


つくば道を筑波山神社に向かって戻り、臼井集落の飯名岡と呼ばれる丘陵上に、飯名神社がある。創建は不詳だが、和銅年間(713-23)に編纂された「常陸国風土記」信太郡の条に「その里の西に飯名の社あり これ即ち筑波の岳にある所 飯名の神の別属(わかれ)なり」とある社で、筑波男神・女神の里宮と考えられている。

筑波では最古の神社の一つであり、中世では「稲野宮」、近世では「飯奈野神社」と表記され、地元では現在「イナノの弁天様」と呼ばれて尊崇されているが、それは万治3年(1660)の再建の折に弁財天を合祀したためといわれる。

祭神は、宇気母地神(うけもちのかみ、保食神)で、五穀を主とした食物の神様である。ほかに市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)が弁財天の祭神として合祀されるほか、伊邪那岐命伊邪那美命須佐之男命、大己貴命金山比古命も祀られている。拝殿の後ろに本殿が覆屋に覆われて繋がっている。

覆屋の中の本殿には、見事な彫刻があるのだが、よく見えないのが残念である。

本殿の後ろには巨石があり、御神体となっている。
本殿手前右側には、大きな万葉歌碑が建っている。
「筑波嶺に雪かも降らるいなをかも かなしきころが布乾(にのほ)さるかも」(万葉集 巻十四3351東歌)
この「いなをか」は、万葉仮名で「伊奈乎可」と記されているので、「飯名岡」「稲岡」と、ここの地名と解釈されている。

御神体になっている巨石は、高さ約4m、幅10mあり、向こう側の真中に大きな割れ目があることから女石と見立てられて、飯名弁天とよばれることになった。その上に高さ1mの男石が立てられている。

男石の右手にも小さな祠が祀られている。飯名神社由来記には、境内社として稲荷社、愛宕社、三峰社、山の神の各社が記されているので、そのどれかであろう。

名神社境内には多数の巨石が見受けられて、古くから自然崇拝的な巨石信仰が発達したと思われる。拝殿に上がる石段の手前には、馬頭尊碑(左)と磐座が祀られている。