半坪ビオトープの日記

常陸国総社宮、拝殿


昨年12月上旬に、茨城県中央にある石岡市からつくば市笠間市にかけて、一泊の史跡巡りに出かけた。
最初に着いたのは、石岡市常陸国総社宮である。古代、常陸国府は現在の石岡市に置かれ、常陸国衙は国内11郡を総括する役所であった。国衙の新任の国司が国内の諸社を参拝する便宜を図って、多くの神社の祭神を集めて総社が建てられた。社務所の下の駐車場から上ると、神門(随神門)の脇に出る。寛永4年(1627)頃再建された随神門は、本殿とともに境内で最も古い建造物で、平成23年に茅葺屋根が葺き替えられた。随神像は、延宝8年(1680)に製作された。

総社宮は、石岡の産土神であり、地域住民からは「明神様」とも呼ばれている。創祀年代は不詳。社伝によれば天平年間(729-49)の創建とされるが、総社の制度は平安時代以降なので疑わしい。当初は「国府の宮」といったが、延喜年間(901-23)に「六所の宮」となり、その後「総社」に改められた。天慶年間(938-47)に大掾氏(平詮国)が常陸府中に築城した際、鎮守のために現在地に遷したという。

境内にはたくさんの境内社が並んでいる。一番右には、愛宕稲荷神社と星宮神社が祀られている。

その次に、愛宕神社(右)、愛染神社(中)、松尾神社(左)が並んでいる。

総社宮の大祭は、「石岡のおまつり」といって、川越氷川祭・佐原の大祭とともに関東三大祭の一つであり、9月の祭には山車14台、獅子32台が町中を練り歩き、3日間で約40万人の観光客が訪れるという。神楽殿は、廊下で社殿と繋がっている。追儺祭の度ごとに拝殿内と神楽殿において「四方祓」が奉納され、節分の豆まきも神楽殿にて行われる。

広い境内中央から見ると拝殿の脇が見えて、その後ろに本殿が繋がっている。つまり、拝殿の前は狭くなっている。拝殿は、寛永4年(1627)に常陸府中藩主の皆川隆庸により建立され、その後、松平信定が天和3年(1683)に修築している。