半坪ビオトープの日記


7月下旬に友と連れ立って木曽駒ヶ岳に登った。麓の駒ヶ根高原には温泉があるので、前日そこに宿を取り翌朝早く出かけることにした。
駒ヶ根高原には温泉のほか、家族旅行村、地ビールレストラン、高原美術館、光前寺などがあり、散策コースもいくつかある。
木曽駒ヶ岳に登るにはマイカー規制があって、ここ駒ヶ根高原の萱の台バスセンターから専用バスに乗り換えねばならない。
そのバスセンター近くに駒が池があり、湖畔に井上井月の句碑がある。
井月は新潟県長岡の生まれで、伊那谷に入ってきたのは安政5年(1858)といわれる。30年近く村々を渡り歩き、明治20年に66歳で亡くなった。乞食井月といわれ無名の俳人だったが、没後30余年に出版された「井月句集」により知られるようになった。駒ヶ根を中心に伊那谷各地に10数カ所の句碑が建てられているという。
雁かねに忘れぬ空や越の浦 井月 

駒が池から光前寺へ向かう途中に旧竹村家住宅がある。江戸時代に代々名主をつとめた家柄で、藩役人を迎えるため豪壮な造りになっている。家の建立年代は不明だが、江戸時代中頃(約270年前)と考えられている。江戸時代中期上層農家の典型として、国の重文に指定され、駒ヶ根市によりここに移築されている。この門の奥に寄せ棟の大きな家があるのだが、時間の都合で見学は省略した。

旧竹村家住宅に隣接して、駒ヶ根郷土館がある。旧赤穂村役場を市内から移築して開館した。現在工事中である。

萱の台の手前には切石公園がある。「切石」は、この近辺に点在する七つの巨石「七名石」の一つであり、二つに割れているが大きさは10.4m×7.4m×高さ3.1mある。約9万年前に氷河により千畳敷カールからしらび平まで運び出され、約2万年前に土石流によって駒ヶ根高原まで運ばれたと考えられている。こうした石は迷い子石といわれ、ヨーロッパではよく見られるが、日本ではここにしかないという。木曽駒花崗閃緑岩の円礫だが、真っ二つに割れているので、武蔵坊弁慶が試し切りしたとも坂上田村麻呂が切ったともいわれている。
切石公園にはほかにも「重ね石」「蛇石」「袋石」などがある。

その切石の右横に「山の神社」と「三峯神社」がある。三峯神社は、安政元年に駒ヶ根に流行病が蔓延し、それを鎮めるために埼玉県の三峯神社より分霊を勧進して祀ったのが始まりという。

山の神社は、昭和5年に、当寺抱えていた山の諸問題が解決したことにより、山の各所に祀られていた「山の神」を合わせ祀ったものという。