半坪ビオトープの日記

早雲寺鐘楼、山上宗二追善碑、枯山水


早雲寺境内に入りすぐ右に茅葺の鐘楼がある。早雲寺創建のときからある梵鐘で、元徳2(1330)年の鋳造と、創建より200年ほど古い。
秀吉の小田原攻めのときに造った石垣山一夜城にも持っていき、陣鐘として使ったという。

鐘楼の近くに大石でできた山上宗二の追善碑がある。利休の一番弟子として秀吉の茶会にも茶頭になったりした山上宗二は、毒舌が災いして秀吉に疎まれて京を追われ、地方を転々とした末に茶の湯が盛んな小田原にたどり着いていた。

秀吉の小田原攻めの際に陣中の利休を密かに訪ね、利休のとりなしで秀吉とも再会するが、そこでまた秀吉に暴言を吐き首を刎ねられてしまった。利休もその約1年後には死を賜り、切腹して果てたことはよく知られているとおりである。

本堂の裏には北條幻庵作の枯山水香爐峯がある。幻庵は早雲の三男長綱で、1590年に小田原城が滅ぶ前年まで長生きして初代から五代まで仕え、戦国時代初期を代表する文化人だったという。
山の斜面に大石を配する枯山水で、鎌倉・室町期の禅寺の庭園様式である。
最後に、須雲川と早川の合流地点に近い「はつ花そば」で、温かい天ぷらそばを賞味して帰途に就いた。