半坪ビオトープの日記


箱根の話はさておいて、正月の長崎神社と隣の金剛院の記事を少しはさみます。
豊島区長崎の地名の由来は、鎌倉時代に執権北條氏の御内人長崎氏の領地であったことによるといわれる。
江戸時代の「役帳」によると、小田原北條氏の家臣で江戸衆の太田康資(太田道灌のひ孫)の所領だった。
武州豊島郡長崎村の範囲は、現在の長崎、南長崎、千早、要町、高松、千川と目白四・五丁目、池袋三丁目の一部とかなり広く、豊島区の4分の1ほどだった。

木製の長崎神社の鳥居は、柱の足下に補助木のある両部鳥居で、鳥居に掛かる神社額は山岡鉄舟の揮毫という。
長崎神社には狛犬が3対あるが、昭和3年建立の獅子山上の阿の構え、吽の逆さ狛犬が立体的で迫力がある。

精巧な彫刻小物を有する本殿は嘉永二(1849)年に、こちらの拝殿は明治三二(1899)年に建立されたもので、旧社殿は絵馬を納める額堂として使われている。
正月三箇日はお参りする人が長く列をなしていた。