半坪ビオトープの日記


安房国一宮の安房神社は、延喜式名神大社に列せられている官幣大社である。延喜式とは、延長5年(927年)に、それまで官社とされていた全国の神社一覧で、「延喜式神名帳」の略である。
延喜式名神大社は226社313座あるが、その多くは畿内にあった。東国で主なものに、熱田神宮三島大社鹿島神宮香取神宮安房神社がある。鳥居の右に立つ社号標には「官幣大社」と記されている。

安房神社の社伝によれば、神武天皇元年、安房国の開拓者である阿波忌部氏を率いてきた天富命が、上陸地である布良浜男神山・女神山という二つの山に、先祖に当たる天太玉命と天比理乃竎命を祀り、養老元年(717年)に吾谷山の麓である現在地に安房神社遷座されたという。
これは上の宮の拝殿である。

安房神社は上の宮と下の宮に分かれている。上の宮の主祭神天富命の祖神の天太玉命であり、相殿神として后神の天比理刀竎命と忌部5部神を祀っている。奥にあるのが上の宮の本殿である。

下の宮には天富命天太玉命の孫神)と天忍日命天太玉命の弟神)が祀られている。天富命が「房総開拓の神」と記されているが、実際には阿波忌部氏であろう。

阿波忌部氏がいつ渡ってきたかはわからないが、安房神社には古い洞窟遺跡がある。1931年、安房神社の井戸を掘削する時に海食洞窟が発見された。
人骨22体分のほか、貝製腕輪、縄文土器古墳時代の土師器など弥生時代と推定される品々が出土した。人骨の一部は近くに埋葬され忌部塚として祀られている。
時代区分については再調査が望まれるところであろう。安房神社の裏山は「館山野鳥の森」として整備されている。