半坪ビオトープの日記


龍光院と中禅寺の間に深い森に包まれた塩野神社がある。見事な杉並木を抜けると、正面に屋根の付いた太鼓橋があり、渡った先に二階建ての珍しい「楼閣造り」の社殿がある。
この建物自体は江戸時代に作られたものだが、塩野神社の名は、平安時代延喜式という書物に「式内社」として載っていて、大昔から重要な神社だったことが分かる。
昔は塩野川の湧き出る独鈷山の山頂近くの鷲岩という大きな岩に祀られていた産土神で、ご神体は「水」であったという。

戦国時代に武田信玄がこの地方を勢力下におさめた時、まず生島足島神社に「願文」をささげ、次にこの塩野神社に「朱印状」を奉って武運長久を祈ったという。

独鈷山の東の峰が塩田平に接する森に、古びた大きな安曽神社がある。創建年代は不明だが、社殿によると貞観年代(860年頃)に国々の諸神及び仏像経巻を集めたとある。

この門は随身門といい、神社を護るために随身姿の二神の像を安置している。かどもりの神、看督神(かどのおさ)で、俗に矢大神と左大神と呼ぶ。

本殿には諏訪大社の祭神も祀られており、本殿前向かって左には御柱祭の神木が建てられている。