半坪ビオトープの日記


フランスでは古くから王や貴族の紋章や騎士の楯や軍旗にユリが描かれていた。その記録は12世紀頃までさかのぼれるし、キリスト教の三位一体にならって3つのユリをデザインして用いるようになったのは14世紀のシャルル5世のときからといわれる。
ジャンヌ・ダルクがオルレアンの町の危機を救ったときに、彼女が軍勢を励ますために作った旗には、救世主が雲に乗り、左右に天使を配してその手に白ユリの花を捧げている図が描かれていた。
イタリアの古都フィレンツェの名前は花(フローレ)からきている。それはこの町が建設されたころの土地には、あたり一面に花が、とくにユリが咲き乱れていたからといわれる。ここで使用された初期の貨幣はフィオリーニ、後にはフローリンと呼ばれるが、その表面にはユリの花がデザインされていた。

二つ目の花は、エロディ(Elodie)という品種に似る。

最後の花は、ヴェルメール(Vermeer) という品種である。