まだ二日目だが、島限定の文句に誘われて、部屋飲み用の麦焼酎をもう一本買い求めた。かめ貯蔵の「壱岐の島」、こちらもコクがあって美味しい。
この日は郷ノ浦の大きなホテルに泊まった。夕食にはバーニャカウダの先付にお造りには塩雲丹、タコ、鰹、イカ。鍋物は名物の雲丹しゃぶ。雲丹しゃぶとは雲丹の殻を割る時に出るエキスと和風だしを合わせた雲丹出汁で、肉や魚などをしゃぶしゃぶするもの。この日は真鯛を使っていた。
まだ二日目だが、島限定の文句に誘われて、部屋飲み用の麦焼酎をもう一本買い求めた。かめ貯蔵の「壱岐の島」、こちらもコクがあって美味しい。
この日は郷ノ浦の大きなホテルに泊まった。夕食にはバーニャカウダの先付にお造りには塩雲丹、タコ、鰹、イカ。鍋物は名物の雲丹しゃぶ。雲丹しゃぶとは雲丹の殻を割る時に出るエキスと和風だしを合わせた雲丹出汁で、肉や魚などをしゃぶしゃぶするもの。この日は真鯛を使っていた。
そっと中を覗いてみると、改装したての内部には、玉串三段案に御幣や、奉献酒、左脇にお祓いに使う大麻(おおぬさ)も揃っていた。その先に本殿が認められた。祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)と伊奘諾命、伊奘冉命。日本書紀によると、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命は、天照大神と素戔嗚尊とのうけい(誓約)において、素戔嗚によって天照大神の身につけた珠を物実として生み出され、天照大神の子となった五柱の男神の第一の神。鏡岳神社の案内板によると、古くは本社、中宮、北山宮からなる三者権現を成していたという。伝承として、彦兵衛という柳田の信心深い農夫が豊前国彦山(福岡県英彦山)に夫婦で参拝していたが、老齢のため参拝できなくなった。あるとき彦山権現の神が現れ、初瀬浦に鏡一面を掛けておくので、東嶽に神殿を造り毎月参拝するようにと告げられた。実際に現地に行くと鏡があったため、お告げの通りに神殿を造ったという。
入口には松永が設立した福博電気軌道(後の西日本鉄道)の路面電車が置かれ、館内には犬養毅、後藤新平、福沢諭吉からの書などが展示されている。中庭には彫刻家・北村西望が製作した、松永夫婦(安左エ門・一子)の胸像が設置されている。
ちょうどこの夏、一支博では特別企画の広重展が開催されていた。広重の代表作「東海道五十三次」全55枚を中心に、壱岐を描いた「六十余州名所図会 壱岐志作」他が展示されている。歌川広重(寛政9年〜安政5年、1797-1858)は、江戸時代末期の浮世絵師で、名所図会など風景を描いた木版画で大人気の画家となり、ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた。安政5年9月6日、流行のコロリを患い急死した。享年62歳。この広重肖像画は、安政5年作、絵師は三代歌川豊国である。広重の辞世の句は、「東路へ筆をのこして旅の空 西の御国の名ところを見舞(みん)」。
次に目を引くのは、蒲原の夜之雪。前後の宿には雪は降らず、いきなりの雪景色がひっそりとした沈黙の世界を存分に描き出している。