半坪ビオトープの日記

槇尾山・西明寺

槇尾山西明寺、指月橋
高山寺の表参道から周山街道を下り、清滝川の白雲橋を渡り、すぐ右折して朱色の指月橋に至る。ここが槇尾山西明寺の入り口で、裏手の槇尾山は春には山桜とミツバツツジ、秋にはイロハモミジの紅葉が美しい。槇尾山聖天堂の標柱が立つ先に朱色の指月橋が現れる。

指月橋より清滝川
指月橋から清滝川のせせらぎや真っ盛りに燃え立つ紅葉をたっぷりと眺めたあと、橋を渡り切ると参道の石段が現れる。

西明寺・表門
参道を進むと表門が現れる。この表門(薬医門)は、元禄13年(1700)に建てられた門で、京都市の指定有形文化財になっている。

ノムラモミジ
表門の右に立つ紅葉はノムラモミジという。イロハモミジの園芸品種で、江戸時代から庭木として使われている。春先から秋までやや紫がかった紅色の葉をつける。ノムラとは人の名前ではなく、濃紫=葉の色に由来する。

西明寺・表門
西明寺真言宗大覚寺派に属し、槇尾山と号する。寺伝によれば、平安時代の天長年間(824-34)に、空海弘法大師)の高弟・智泉大徳が神護寺の別院として創建したと伝える。その後荒廃したが、建治年間(1175-78)に和泉国槙尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。正応3年(1290)に平等心王院の号を後宇多法皇より賜り、神護寺より独立した。その後、永禄年間(1558-70)に兵火にあって焼亡したが、慶長7年(1602)に明忍律師により再興された。表門は一間薬医門で、本堂と同じく元禄13年(1700)に桂昌院の寄進により造営された。

苔むした石灯籠
門を潜り抜けた両側には槙の古木が植えられている。石灯籠もすっかり苔むしている。

西明寺・本堂
正面の本堂は、元禄131700桂昌院(五代将軍・徳川綱吉の生母)の寄進により再建された。総欅造りの建物で、桁行七間、梁行四間の大きさで、内部は梁行に三分されている。中央間が内陣で、両脇陣が外陣となり、真言宗寺院本堂の構造としては特異である。正面入り口の梁上に「霊山鷲心(空海筆)」の扁額が掲げられている。内陣の須弥壇上に仏師・運慶によって彫られた本尊・釈迦如来像が祀られている。東脇陣には西明寺で最古の仏像である千手観世音菩薩像や愛染明王像などが安置されている。本堂手前右側には聖天堂が建っている。元禄時代の造営で、堂内には歓喜天秘仏として祀られている。本堂左後方には渡り廊下で結ばれた客殿が建っている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された。

イロハモミジ(高雄モミジ)
境内には数百本のイロハモミジ(高雄モミジ)が植えられており、色とりどりの紅葉を楽しむことができる。

苔庭・宝篋印塔
本堂の東側には苔庭があり、右側には苔むした宝篋印塔が静かに佇んでいる。

鐘楼
鐘楼も元禄時代の建造物で、月潭道澄(1636-1713)の銘文が刻まれている梵鐘が掛けられている。

指月橋より清滝川

帰りがけにも指月橋から清滝川を見渡すところで、紅葉の美しさにあらためて感動する。