半坪ビオトープの日記

小茂田濱神社

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小茂田濱神社

対馬下島の中心地厳原から西に向かう県道44号線が、西海岸を北上する県道24号線にぶつかる小茂田の海岸沿いに、小茂田濱神社が鎮座している。元寇文永の役)の際に、元・高麗連合軍が上陸した地にあたる。

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元寇奮戦図」

神社近くに「元寇奮戦図」が掲げられている。文永11年(127410月5日午後対馬の西の海は蒙古の軍船に覆われた。元軍2万、高麗軍1万、船は900艘ともいわれる。対馬の地頭で守護少弐景資の代官でもある宗助国(資国)は、80余騎を率いて岩山の夜道を佐須浦へ向かった。翌朝、上陸した蒙古軍と激しい戦いとなったが、宗助国をはじめ、子の右馬次郎、養子の弥次郎ほか全員が戦死した。蒙古軍は佐須浦に火をかけて焼き払った。小太郎と兵衛次郎の二人が博多へ船を走らせ、事の顛末を知らせた。

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宗助国の騎馬像

宗助国の墓と伝えられる「お首塚」が下原に、「お胴塚」が樫根にある。2024年に元寇750年を迎えるため、68歳で戦死した宗助国の青銅製の騎馬像の除幕式が、訪れた日の数日前に執り行われたばかりだった。騎馬像は「元寇奮戦図」を参考に造られたという。

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二の鳥居と拝殿

正平二年(1347)宗助国の後裔・宗経茂が現在地に遷し、神領を寄進して宗家の祭祀とし、改めて帥大明神社と称した。元禄年間、宗義真はその勲功を欽仰して神門及び石碑を建立した。寛政七年(1795)より毎年宗氏が祭典を執行した。二の鳥居の先に拝殿がある。

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小茂田濱神社の拝殿

元軍は対馬を侵攻した後、壱岐にも侵攻し、多くの男女を捕虜とした。その後、肥前沿岸に襲来し、博多湾に上陸した。戦いは日本軍が劣勢だったが、元軍は大風に見舞われて敗走した。

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拝殿内の元寇絵馬

拝殿内には、「元寇奮戦図」などの元寇絵馬がいくつか奉納されている。

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小茂田濱神社の本殿

小茂田濱神社の主祭神は、宗右馬允助国(宗助国)だが、元寇で戦死した将士の霊も祀っている。「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う神」とされる。拝殿の後ろに続く本殿は、全体の姿が見え難い。

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元寇記念碑

昭和49年(1974)、元寇700年記念の平和の碑を建立した。左には大正13年(1924)の元寇650周年記念碑が建つ。

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助国忌之碑?

境内には他に助国忌之碑があるはずだが、これであろうと思ったが、確かめることができなかった。

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小茂田浜

佐須浦で全滅した宗助国と家臣団の魂を沈めるため、鎧武者を先頭にした武者行列が小茂田浜まで歩き(海幸式)、神主が海に向かって鏑矢を放つ「鳴弦の儀」が行われている。

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佐須浦と佐須川

佐須浦が元寇古戦場跡というけれども、当時は、この砂州に囲まれて佐須浦は佐須川に沿って約500mほど南に入り込んでいた深い入江だったので、実際の戦場は矢立山古墳や現在の金田小学校の辺りだったと推測されている。

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伝教大師入唐帰国着船之地」の顕彰碑

小茂田からさらに北上すると阿連(あれ)に着く。そこには「伝教大師入唐帰国着船之地」の顕彰碑がある。延暦24年(805)に留学僧最澄が乗っていたとされる船が阿連に着いたという記録があり、これを記念して昭和48年(1973)に建てられたものである。なお、阿連には式内社の雷命神社があり、そこから阿連川を遡った山中に対馬の太陽神「オヒデリサマ」の祠がある。雷命神社の祭神・雷命(イカツオミ)は旧9月29日に出雲に旅立って不在となるため、川上に鎮座するオヒデリを里に迎える。11月1日に雷命が戻り、1週間オヒデリとともに暮らし、11月8日に大祭、9日に住民総出でオヒデリを川上に送る神事(本山送り)が行われる。この時オヒデリは懐妊しているとされ、雷神・水神・男神である雷命と、太陽神・女神であるオヒデリが和合し、里に豊穣がもたらされるという古くからの言い伝えがある。