半坪ビオトープの日記

長崎鼻、指宿・砂蒸し


開聞山麓自然公園の展望台から見えた、薩摩半島最南端の長崎鼻に行く。熱帯ジャングルを再現したという長崎鼻パーキングガーデンの駐車場から土産物屋の並ぶ道を歩いて灯台に向かうと、道端に真っ赤なハイビスカスが咲いていた。

海が見えるところに出ると、おもちゃの国のような龍宮神社がある。

いかにも龍宮伝説にあやかって観光目的で作りましたといった感があり、拝殿が竜宮城をかたどっている。

古書に「竜宮城は琉球なり」の記述があるとかで、祭神として記紀にある豊玉姫、いわゆる乙姫様を祀っているという。長崎鼻には古くから浦島太郎伝説があり、長崎鼻の龍宮神社は浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神とされる、との土産品店組合の説明書きがあるが、もちろん観光名所作りのこじつけに過ぎない。右奥に小さな恵比寿神社らしき境内社があるが、これだけは昔からあったかもしれない。

灯台に向かうと、右手の海の彼方に開聞岳が現れた。薩摩富士といわれるだけあって、海から立ち上がるコニーデ型の山容は素晴らしく、本物の富士山に負けず劣らず形が整っている。

おとぎ話に出てくるような浦島太郎と亀の姿も、近くにウミガメが産卵のため上陸する砂浜があることに因んだ子供向けの愛嬌のある作り物である。

道端に篠原鳳作の句碑が建っている。篠原鳳作は鹿児島市出身の俳人で、「満天の 星に旅ゆく マストあり」、「しんしんと 肺碧きまで 海の旅」の2句が彫られている。後者の代表句は、無季俳句の存在と可能性を俳壇に知らしめた先駆的作品で、有季派であった水原秋桜子をして鳳作を無季陣最高の俳人といわしめた。病弱で故郷鹿児島の教師を勤めるも、昭和11年(1934)30歳で夭折した。

道の両側に広がる海を眺めながら心地よく進むと、まもなく灯台に近づいてきた。

この長崎鼻灯台は、昭和32年に初点灯し、塔高11m、灯高21m、光度8500カンデラ光達距離が13.5海里(約25km)であり、丸い白亜の塔自体はそれほど大きくはないが堂々としている。

長崎鼻灯台は、長崎県対馬や鹿児島県北西部の長島町にもあるが、薩摩半島最南端の薩摩長崎鼻灯台は、開聞岳大隅半島も眺望できる、薩摩半島随一の観光地として知られる。とはいえ、晴れているにもかかわらず水平線は霞んでいて、東に見えるはずの大隅半島は確認できなかった。

南には広々とした太平洋に干上がった岩礁地帯が突き出ていて、先端近くまで散歩する観光客も散見できる。

西の海の向こうには、雲がかかりやや霞みながらも開聞岳の端麗な姿が眺められた。

長崎鼻の後は早めに指宿温泉の宿に着き、摺ヶ浜の砂蒸し風呂を体験した。海岸沿いの砂むし会館で専用浴衣に着替え、屋根付きの砂浜に横になり、約50℃の砂をかけてもらって10分ほど汗をかき、すっきりする。300年もの昔から湯治客に愛されてきたという天然の砂むし風呂は、一度は体験したい指宿名物である。