半坪ビオトープの日記

道後温泉


松山市内に湧出する道後温泉は、日本三古湯の一つといわれ、「日本書紀」にも登場する。市電の道後温泉駅から道後温泉本館前までL字型にアーケードの温泉街があり、土産物店や飲食店などが軒を連ねている。

道後温泉は、古名を「にきたつ」(煮える湯の津)といい、万葉集巻一(8)に見える。
熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(額田王
明治の面影が残る道後温泉本館が温泉街の中心で、朝から夜中まで観光客が集まっている。
木造3階建ての神の湯本館は明治27年(1894)の改築で、又新殿・霊の湯棟は明治32年の増築である。平成6年(1994)には現役の公衆浴場としては全国で初めての重要文化財に指定された。

かつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉に因む地名である。伊予国(いよのくに)という名も湯国(ゆのくに)が転じたという説もある。近くの冠山から約3000年前の縄文中期の土器・石鏃が出土するため、温泉も3000年の歴史があるともいわれる。各地の温泉と同様、道後にも白鷺伝説がある。昔、足を痛めた白鷺が岩の間から流れ出る湯に浸していたところ、傷が癒えて飛び立って行くのを見て、村人が手を浸すと温かい温泉であり、効能を確認したという発見物語である。

道後温泉本館には、霊の湯・神の湯と休憩室を組み合わせた4つの入浴コースがある。霊の湯と神の湯で入浴して霊の湯3階個室で休憩し、日本で唯一の皇室専用湯殿・又新殿や坊っちゃんの間の見学ができ、お茶と団子も楽しめる1500円の贅沢コースもあるが、神の湯のみ入浴できる400円の地元っ子御用達の最安コースで湯に浸かった。

入浴コース別に札場に並ぶので、最も空いている入浴のみコースを選んだが、時間があればゆったりしたコースが良いと思う。けれども居並ぶ人の群れを見ると、中に入るまでの待ち時間がたっぷり必要なので諦めた。

道後温泉本館の左手には「道後麦酒館」という地ビールを飲める店があるので、湯上りに早速1杯買い求め、なおも左手路地にあるかまぼこ屋でつまみを手に入れ、立ち飲みしながら温泉情緒を味わった。

早めに入った宿から、駐車場が混んでいて見学できなかった松山城を遠くに眺めた。松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明が慶長7年(1602)に築き始めた平山城である。日本の12箇所に現存する天守の一つを持ち、姫路城と同じく連立式で、日本三大連立式平山城の一つに数えられている。

道後温泉の最寄駅である道後温泉駅は、伊予鉄道市内線(城南線)で、坊っちゃん列車の終着駅である。明治44年(1911)建築の旧駅舎が明治洋風建築そのままの外観で復元されていて、夜間にはライトアップされる。

駅前広場の引き揚げ線には夜間、坊っちゃん列車の機関車と客車が留め置かれ、ライトアップされる。昼間にも運行の合間に入線することがある。

道後温泉駅前には放生園という小公園があり、坊っちゃんからくり時計、足湯、湯釜などがある。