半坪ビオトープの日記

普賢院、玉作湯神社


須我神社の左隣には、鏡智山普賢院という高野山真言宗のお寺がぴったり隣接している。
山門には不動明王像が安置されている。

須我神社の拝殿の左手に、小さな虚空社があるが、虚空蔵菩薩が祀られている。

虚空社の左手には、普賢院の境内が広がっていて自由に行き来できる。大師堂には、弘法大師像が安置されている。

本堂には、本尊の聖観世音菩薩が安置されている。普賢院は、室町時代にこの地に移転してきて、須我神社の神宮寺として、神社別当職を勤めていた。明治の神仏分離別当職を廃止され、寺院として独立した。

本堂の右手には、石碑や小さな社がある。一番左の石碑には、雲風和上墓碑と書かれた立て札があるが、細かい説明は読み取れない。一番右手にあるのは、天神社である。お寺の境内にあるのもおかしな話だが、これも神仏習合の名残だろう。ちなみに須我神社の境内社の海潮神社にも天神神社が合祀されていたので、それと関連があると思われるが、細かいことは分からない。

須我神社は松江市出雲市の南にあたる雲南市の東端にある。雲南市は八岐大蛇伝説が残っていたりする農山村だが、この須我神社の辺りも純農村地帯といえる。昨晩泊まった松江の玉造温泉に戻る途中、千数百年も前からあまり変わらないであろう田園風景に、昔の出雲国の風情が感じ取れるかと思い、しばし止まって見渡してみた。

宍道湖に面する玉造温泉は、『出雲国風土記』にも神の湯と記される、古来からよく知られた名湯である。また、出雲国造が神賀詞を唱えに朝廷に参上する時に、潔斎に用いる清浄な玉を作る地としても知られる。

玉造温泉には、『出雲国風土記』にも記されている「玉作湯の社」、玉作湯神社がある。式内社でもあり、祭神として、玉作りの神の櫛明玉命、国造りと温泉療法の神の大名持命大国主命)、温泉守護の神の少彦名命を祀っている。

神社境内は、国指定史跡である出雲玉作跡の一角で、弥生時代から玉作りが行われていた。江戸時代には「湯姫大明神」とも呼ばれ、隣接する玉造御茶屋松江藩主が訪れる際には必ずこの神社に参詣していたという。拝殿、本殿の他、境内社もいくつかあるが、時間がなく割愛した。