半坪ビオトープの日記

加茂岩倉遺跡


雲南市加茂町岩倉に弥生時代の遺跡、加茂岩倉遺跡がある。農道工事中に発見されたこの遺跡が、どんな山の中にあるかを実感させるためか、駐車場は500m手前に設けられていて、てくてくと歩いていかねばならない。

春の花々が咲いていて清々しい野道を進んでいく。道端には黄色い花が咲き乱れている。キンポウゲ属のウマノアシガタ(Ranunculus japonicus)である。日本各地及び中国、朝鮮、台湾に分布する多年草で、日当りのよい山野に生える。草丈30〜60cmで、5枚の花弁は光沢があり美しい。

道の左手に紅紫色のミツバツツジが咲いていた。西日本特産のサイコクミツバツツジ(西国三葉躑躅、Rhododendron nudipes)であろう。曇り空であったがとりわけ色が鮮やかだった。

谷底を歩いて進むと、ようやく前方が開けて、右手に遺跡に上る階段がある。

急な階段を上っていくと、左手奥に加茂岩倉遺跡ガイダンスの建物が見える。遺跡の解説や銅鐸のレプリカが展示されているのだが、実物は前日、古代出雲歴史博物館で見てきたので、今日は遺跡現場の状況だけを見る。

遺跡は、1996年に農道工事のための重機で掘削中に、異様な音で発見された。発掘の結果、一ヶ所からの出土例として日本最多となる39口の銅鐸が発見された。遺跡は国の史跡に指定され、出土した銅鐸は国宝に指定された。

大きさでは、高さ45cmの中型20口と30cmの小型19口に分類される。そのうち13組26口は珍しく入れ子状態で出土されている。銅鐸の中には、顔・トンボ・鹿・猪・スッポンなど絵を描いた絵画銅鐸がいくつか含まれている。

銅鐸埋納坑の西3mに位置する土坑からは、残念ながら出土遺物がない。遺跡は先に発見された358本の大量の銅剣が出土した荒神谷遺跡と山を隔てて南東にわずか3.4kmしか離れておらず、両遺跡から出土の銅鐸に「×」印の刻印があることから両遺跡は関係があることが分かり、古代出雲の王国あるいは文化圏の大きな手がかりとなっている。