半坪ビオトープの日記

高遠そば、高遠美術館


いよいよ分杭峠(1424m)を越えて伊那市に入る。峠の名は、高遠藩が他領との境界に杭を立てたことに由来し、峠には「従是北高遠領」の石碑がある。峠の高遠側に粟沢駐車場があり、分杭峠周辺の散策拠点となっている。近年、ゼロ磁場などと騒がれ観光客も多いが、もちろん疑似科学でしかない。

高遠大橋を下って高遠市街地に向かうと、正面に的場城趾のある城山が構えている。麓には蓮華寺や香福寺があり、城山の右奥に杖突峠や諏訪に向かう秋葉街道が続く。的場城の築城詳細は不詳だが、戦国時代に武田氏と対立した高遠氏により修築されたようだ。天文16年(1547)以降は高遠城を支配した武田氏により高遠城の支城とされ、織田勢が高遠城を攻め落とした時に的場城も役目を終えたという。
高遠城趾公園は橋のたもとの右手にあり、左手にはそば屋などの食事処や観光案内所がある。

今では有名な高遠そばは、十数年前に会津から里帰りして復活したものである。江戸時代、信濃国高遠藩から徳川将軍家寒ざらしそばを献上する慣例があった。蕎麦好きであったとされる高遠藩主・保科正之は、出羽を経て会津まで転封していく間に、山形や会津、江戸に蕎麦を広めたと考えられており、それを根拠に伊那市は自らの市が「信州そば発祥の地」と主張している。

高遠そばは、めんつゆに辛味大根のおろしと、焼き味噌を混ぜた「辛つゆ」に麺をつけて食べるいわゆる「辛汁そば」である。この店では他に自家製のくるみのつゆも付く。せっかくだから、かき揚げ付きを頼んだ。

こちらは辛味大根のぶっかけそばである。もともと高遠には地大根として辛味の強い「高遠大根」があったが地元では途絶えてしまった。ところが会津で「あざき大根」として残っていたのがわかり、里帰りさせてようやく復活させたという。前日、天竜峡近くの蕎麦屋で食した具が多い辛味大根のぶっかけそばと比べると、こちらの方が上品にまとめられている気がした。高遠そばもこちらも蕎麦つゆが薄く感じられ、蕎麦自体も普通の味だったので、次回桜の花見に来るときは別の店にしようと思う。

高遠城址公園に隣接して高遠美術館が建っている。駐車場から見ると美術館の建物の隣に貧相な三層天守が見える。経緯がよくわからない謎の模擬天守である。

高遠美術館は、町出身の原田政雄が収集した作品と、伊那市が所有する中村不折など郷土作家の作品を中心に平成4年に建てられた。日本瓦の幾何学模様と打放しコンクリートの壁面が景色に溶け込む構成である。ちょうど特別展が行われていて、目当ての常設品はほとんど見ることができなかった。

二層吹き抜けのメインロビーなど内部はガラス壁を多用し、自然を描き出す屏風絵のような景色を楽しむことができる。