半坪ビオトープの日記

松平郷館


松平東照宮の手前右側に、松平郷館が建っている。館内には松平家と徳川家にまつわる歴史的な資料が数多く収められている。

館内に入るとすぐ左手に、松平氏の発祥コーナーがあり、初代の松平太郎左衛門親氏から東照宮を建立した9代尚英まで、3代信光を初代として本家から分かれた松平宗家の9代家康までの系図などが細かく説明されている。松平宗家三河全域まで勢力を拡大していったが、支配力が弱体化した8代広忠時代の天文11年(1542)に9代家康が岡崎城で生まれた。天下和順で始まる漢文は、親氏の願文である。

家系図から順に時計回りで見ていくと、まず最初に木造松平親氏坐像が目につく。高さ30cm、寄木造黒漆塗り、目は玉眼細工の僧形。松平郷へ入る前の徳阿弥という時宗の僧の姿である。坐像の右には、親氏が松平城築城に使用されたと伝わる鉄の玄能が展示されている。

松平家に伝わる太刀の右には、親氏の護身仏と伝えられる仏像がある。松平家の守護神として、また八幡神社御神体として奉祀されていた。

その右にも松平家に伝来する像高22cmの阿弥陀如来像がある。

さらに右には、松平家秘蔵の弁財天、徳川家康像、朱塗黒糸威具足と続く。弁財天は産湯の井戸の奥に奉祀され、井戸の守護神ともいわれていた。家康像は晩年の姿である。具足は松平太郎左衛門家9代尚英が、関ヶ原で勲功があったため家康よりいただいた具足で、大坂の陣での刀傷の跡もある。

入って正面の左手には、徳川家康誕生と江戸幕府のコーナーがあって、将軍家の家系図、家紋、家康公二十将の説明があり、黒皮糸威具足や三輪紋足軽具足、馬印(うまじるし)などが展示されている。馬印とは、戦国時代の戦場で、武将が己の所在を明示するため、馬側や本陣で長柄の先につけた印である。旗印から発展したもので、馬標、馬験ともいう。三方向から見えるこの馬印は、松平太郎左衛門家のものである。

正面右手には、松平太郎左衛門家に伝来する、長柄の槍や刺股、火縄銃や太刀などの武具が展示されている。

入って右側の壁には、殿様作曲家といわれた松平信博のコーナーがある。松平太郎左衛門家20代の信博は、明治生まれで大正・昭和と映画音楽などの作曲を多数手がけたことで知られるという。