半坪ビオトープの日記

御座石神社


田沢湖には古来より「辰子姫」伝説がある。湖の南、金成沢に生まれた絶世の美女「たっこ」がその美貌の永遠なることを願い、大蔵観世音に百夜参りの願をかけ、満願の夜の観世音菩薩のお告げに従い永久不変の龍体となって田沢湖の主になったという伝説である。それより村人は姫を崇め、湖水の清浄を守り伝えてきたが、昭和14年田沢湖の水を水力発電に活用することとなり、滅びゆく魚類と湖神辰子姫の霊を慰めるため、この姫観音が建立された。

田沢湖から流出する湖水を補うため玉川の水を導入したが、玉川毒水と呼ばれる塩酸を含む強酸性の水が大量に流入したため、それまで田沢湖にのみ生息していた国鱒は、数年内に絶滅した。しかし、奇跡的に平成22年(2010)に山梨県の西湖で生息が確認された。その後の調査により、昭和10年(1935)に、西湖ほかに人工孵化実験のため卵が送られたことが分かった。

田沢湖周遊道路は一周約20kmあり、東の遊覧船乗場から反時計回りに廻ると姫観音の次に御座石神社がある。おおよそ田沢湖の北の奥にあたる。鳥居の左手には、石井露月の句碑がある。子規門下の四天王といわれた露月は、明治42年にこの地を訪れた。
秋と云へば 波打越しぬ 御座の石  露月山人

鳥居の右手には、1本の木から7種類の木が生えたという「七色木」がある。根元に雨乞い石を抱えていて、雨乞い石を守るために、松、杉、桜、槐、えごの木、榛の木、梨の木が自然に生えたといわれる。

御座石神社という社名は、慶安3年(1650)に久保田藩主・佐竹義隆が田沢湖を遊覧した際、この岩場に床几を据え腰をかけて休んだことに由来する。巡行を記念して、田沢湖畔春山の三之丞家が御座石上に明神堂を建てたという。明治44年、湖畔田子の木集落の産土神の蛭子堂、大沢集落の産土神の槎木明神などの神社を合併し、現在地に移動した。湖畔ギリギリに建つ朱塗りの両部鳥居は、真南を向いている。

御座石神社は、湖神たつこ姫を祀る神社であるが、古くは背後の高鉢山あるいは中腹の鏡石が祀られていたと推測されている。田沢湖という名も明治になる前は、田沢の潟、辰子潟などと記録されている。

御座石神社の創建は、慶長3年(1598)熊野修験僧が御座石付近を修験の場と定め祠を建てたのが最初とされている。扇に月は、佐竹氏の家紋である。社殿の中の鏡が、真正面に広がる湖を映し出しているという。

神社の近くには、たつこが飲んで龍となった「潟頭の霊泉」や、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所もある。境内には下半身が龍となった、たつこ姫の銅像もある。