半坪ビオトープの日記

鬼石の福持寺


神流川の典型的な谷口集落である鬼石は、神流川流域では大きい町で、その中心に真言宗の慶石山福持寺がある。建久7年(1196)法印良承僧都の開山で、本尊は地蔵菩薩である。開基は梶原景時で、建久6年に三男福持丸がこの地で落馬し死去したのでここに葬り、景時が大檀那となり、寺号を地蔵院から福持寺と改称した。本堂の造りはぱっとしないが、広い境内には多くの建物や石造物がある。

神仏習合の名残だろうか、朱色の鳥居と社がある。右のお堂は地蔵堂である。

ここにもお堂が三つ並んでいる。この福持寺には、聖徳太子を祀る太子堂があるのだが、どれかは確認しなかった。一番右のお堂は不動堂である。

山門の近くには鐘楼が建っている。

福持寺には鎌倉時代の板碑が残っているのがよく知られている。一番左の板碑は、文永7年(1270)建立であり、高さは147cmである。来迎三尊を表す梵字が刻まれている。

真ん中の板碑は、文永8年建立であり、高さは127cmである。700年以上も経っているので、文字の判読は難しい。

一番右の板碑も、文永8年建立であり、高さは65cmである。三つとも緑泥片岩で作られていて、祖先の追善供養のために建てられた。