半坪ビオトープの日記

瓦塚古墳、丸墓山古墳


移築民家の裏手には、全長73mの瓦塚古墳が見える。6世紀前半に造られた前方後円墳で、二重の堀が巡っていた。武人の人物埴輪、家形埴輪、円筒埴輪など多種多量の埴輪が出土している。

広い古墳公園を時計回りに巡ると、駐車場の前に全長53mの愛宕山古墳がある。埼玉古墳群の前方後円墳の中で最小だが、二重の堀から多種の埴輪が見つかっている。

北に向かうと大きな丸墓山古墳が構えているのだが、その手前に桜堤がある。これは石田堤といって、天正18年(1590)豊臣秀吉の命を受けた石田三成忍城水攻めのために築いた堤の一部である。総延長は28kmとも14kmともいわれるが、忍城は水攻めに耐えた。

直径105m高さ19mの丸墓山古墳は、日本最大の円墳として有名である。名の由来としては、「麿墓」が訛って「丸墓」となった、あるいは丸い墳丘からその名がついた等の説があるが、江戸時代の書物には既に丸墓山の名で知られていた。

出土埴輪から6世紀前半に造られたと推定されている。稲荷山古墳の後、二子山古墳と同じころに、大きな前方後円墳に前後して、なぜ日本最大の円墳がつくられたか、また唯一葺石を施されたのはなぜかは謎とされる。

忍城水攻めの際に、石田三成はこの古墳の上に陣を張って、忍城を見張っていたという。映画「のぼうの城」の舞台にもなった。2.5km西方に、復元された忍城の御三階櫓が白い煙のすぐ右上に小さく見える。