半坪ビオトープの日記

さきたま古墳公園、稲荷山鉄剣


11月中旬に埼玉県中央から西北部にかけて史跡見学した。まず県名発祥の地、行田市大字埼玉にある「埼玉(さきたま)古墳群」を訪ねた。5世紀後半から7世紀はじめ頃までに造られた9基の大型古墳が群集していて、「さきたま古墳公園」として整備されている。
明治4年に埼玉県と入間県が設置され、明治9年に埼玉県に統一された。奈良時代律令制度では前玉(さきたま)郡の表示があり、ここ行田市埼玉(さきたま)の地は巨大古墳群の所在地で埼玉郡の中心地と考えられるため、県名発祥の地とされた。

「さきたま風土記の丘」とも呼ばれる公園には、県立の「さきたま史跡の博物館」がある。ここに稲荷山古墳出土の国宝、稲荷山金錯銘鉄剣が展示されている。1968年に出土し、1978年に115字の漢字が金象嵌されていることが判明し、同時に出土した画文帯環状乳神獣鏡やヒスイの勾玉などと一括で1983年に国宝に指定された。

この鉄剣銘文から、辛亥(471)の年にヲワケが仕えた獲加多支鹵(ワカタケル)大王は、日本書紀の大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)天皇、すなわち21代雄略天皇となり、その実在が考古学的に実証されたことになった。熊本県の江田船山古墳出土の鉄剣銘文にもワカタケルと読める文字があり、雄略天皇統治による大和の権力が、遅くとも5世紀後半には九州から北関東まで及んでいたことがわかった。

国宝展示室内には、ほかにも馬具や埴輪など、埼玉古墳群だけでなく埼玉県内の古墳からの出土品がたくさん展示されている。右の大きな馬形埴輪は、東松山市の反町遺蹟出土品である。

史跡の博物館の向かいには、県内から移築された旧民家がある。これは幸手市大字千塚から移築された旧遠藤家住宅で、江戸時代末期に建てられた農家である。屋根に煙出しの高窓がある。

こちらは行田市佐間から移築された旧山崎家住宅で、明治初期に建てられた。中二階建てで、二階部分で蚕を飼っていた農家である。