半坪ビオトープの日記


水戸藩の藩校である弘道館は、徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして開設された。建学の精神は、天保9年(1838)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目で示された。天保12年(1841)に仮開館式が挙行され、安政4年(1857)に本開館式を迎えた。
弘道館は国の特別史跡となっており、幾度の戦火を免れた正門、正庁および至善堂は、国の重文に指定されている。水戸城跡大手橋に向かい、正庁の正面にあるのが正門で、桟瓦葺の四脚門、左右に瓦葺の漆喰塗り土塀が続いている。

かつての薬医門が現在、観光客の入口になっていて、内側に入館券販売所の詰所がある。薬医門の手前右側の掲示板には、東日本大震災での被災状況の写真がいくつも貼られている。

弘道館の入学年齢は15歳だが、卒業はなかった。文武両道が重視され、文館では、儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武館では、剣術・槍・柔術兵学・鉄砲・馬術・水泳など多様な科目が教えられた。いわば総合大学といえるもので、当時の藩校としては国内最大規模のものだった。右の文館、左の武館に挟まれた真中の正庁および対試場では、藩主が臨席して文武の大試験が行われた。正席は24畳、二の間は15畳、三の間は12畳、玄関の間は24畳で、各部屋の周囲には広い畳廊下がある。

去年の東日本大地震で外壁も所々崩れているのが見えるが、館内もかなり傷んでいるようで、以前は見学できた正席の間などの館内が立ち入り禁止になっていた。
正庁の玄関前には斉昭夫人ゆかりの左近の桜が植えられていた。齊昭夫人登美宮様が水戸家に降嫁された際、仁孝天皇から下賜された鉢植えの桜を弘道館ができたときにここに植えたのだが、一度枯れたので再び植えたものという。

左近の桜の左には、齊昭公お手植えの松が植えられている。正庁の白壁の一部が剥がれているのが見える。