半坪ビオトープの日記


偕楽園の東に接している常磐神社は、2代藩主徳川光圀(義公)、9代藩主徳川斉昭(烈公)を祀る神社で、明治7年(1874) に梅林の一部を境内として社殿が完成した。

斉昭が国旗を日の丸に定めたとして、国旗制定祈年祭を神事としている。戦災によってほとんどの社殿が焼失し、昭和33年に現在の社殿が完成した。

戦災で唯一焼け残った神楽殿を、平成3年に能舞台に改修し、毎年9月に「水戸薪能」を開催している。

境内左側に「水府神楽記念碑」が建っている。掲示板に由来が書かれている。水府神楽は水戸藩御免、水戸徳川家御用の高い格式をもち、例年水戸の祭礼には神楽を奉納している。水戸城下、台町に「神楽屋敷」を給わり、宝暦の古記録や天明の古文書にも記された由緒正しい大神楽である。

常磐神社の例祭、神幸祭「黄門祭り」は、毎年5月に行われる。大神輿は珍しいハ角の形で重さは800kg、葵の御紋が一際目立つはずだが暗くてよく見えない。

東湖神社は藤田東湖を祀る神社で、境内西側に位置し、東面している。切妻造の拝殿と神明造の本殿をもつ。昭和18年(1943)に創建されるが、それ以前は鎮霊社(現茨城県護国神社)が鎮座していた。藤田東湖は、父幽谷の水戸学を受け継いで実践し、斉昭を助けて藩政改革、兵器軍艦の建造に活躍した。その著「弘道館記述義」は、会津正志斉の「新論」とともに水戸学を代表する文献として明治維新の志士達の教典となった。
社殿の東に水戸黄門宝物館である義烈館があるのだが、時間の都合で割愛し、雨で予定が狂った水戸・大洗一泊の旅を終えた。