半坪ビオトープの日記

マラガ、カテドラル屋上、夕食

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カテドラル

マラガのカテドラルは、建設期間が長かったため、ゴシック、ルネッサンスバロックなど様々な様式が見られる。内部には17の礼拝堂が配されており、そのうちロサリオ礼拝堂にアロンソ・カーノ作の油絵『ロサリオ聖母』、コンセプシオン礼拝堂にクラウディオ・コエリョ作『聖母マリアの無原罪の御宿り』などがあるのだが、残念ながらここも見学時間に間に合わなかった。仕方なく中庭から出発する「カテドラル屋上見学」に参加したが、これがまた珍しい体験だった。尖塔の螺旋階段を上っていき、途中から非常階段を伝ってカテドラルの屋上に出ると、見たこともない光景に出くわす。丸い屋根がいくつも並んでいるが、これらは翼廊の屋根である。

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カテドラルの尖塔

もちろん尖塔の上半分は天に向かって伸びている。マラガの町の彼方、西の方角は夕焼け空となって美しい。

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尖塔の鐘

尖塔にぶら下がる鐘が大きく見えるまで近づくことができる。

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マラガ港の埠頭

暮れなずむマラガの町も明かりが灯り出す。グアダルメディナ川の河口に位置するマラガは、フェニキア人によって築かれた地中海で最も古い港の一つであり、スペインで最も古い連続操業港である。今では豪華客船も停泊できる埠頭は細長く地中海に伸び出している。

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ヒブラルファロ城

東の方角には小高い山があり、ヒブラルファロ城が築かれている。アルカサバを守る要塞として14世紀に造られた城で、城の中央には戦争に関する博物館がある。

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赤ワイン、ラモン・ビルバオ

港湾都市マラガでの夕食は、やはり海鮮料理となる。地元でも人気があるというレストラン、Plaza de Chinitas で、まずはスペイン最古のワイン産地、リオハ(Rioja)の赤ワイン、ラモン・ビルバオ(Ramon Bilbao)を頼む。

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イカのリングフライ

こちらは、イカのリングフライ(Calamares Fritos)とアオヤギに似た貝のむき身。

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海鮮パエリア

海鮮パエリア(Paella de Mariscos)は、数種のエビやイカムール貝などの海鮮が満載の豪華版。ライスにも味が十分染み込んでいてこの上なく美味しかった。

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ヌガーの店

食後はマラガの街中を散策した。こちらは「スペインの味」というヌガー(Turrones)を売るお菓子屋。お土産に少し買い求めた。

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カテドラルの尖塔

カテドラルの尖塔もライトアップされていて、街中のどこからでも目印となる。

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カテドラル周辺のネオン

年末年始の夜景はどこの町でも美しく飾られているが、カテドラル周辺のネオンも色鮮やかである。

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大通りのネオン

こちらの賑やかな通りにかかるネオンも、大掛かりな趣向が凝らされて見事である。

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大道芸

大道芸もあちこちで見かけられるが、片足で斜めにバランスをとる姿には一瞬ドキッとさせられる。

グラナダからマラガへ

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カテドラル、主祭壇

アルハンブラ宮殿からグラナダ市内に戻り、カテドラルに立ち寄ると、一瞬だけ堂内に入ることができた。黄金色の主祭壇は高さ約45mの円筒形のドームとなっており、大きなフレスコ画や色鮮やかなステンドグラスの窓は美しく見応えがある。1523年に工事が始まった時はゴシック様式だったが、1528年に建築家がディエゴ・デ・シロエに代わり、新しい流行であるルネサンス様式に変更された。右上階にはパイプオルガンも備え付けられている。

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祭りの隊列

カテドラル前には、中世の服装で着飾った祭りの隊列が続々と集結していた。

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祭りの隊列

この日はグラナダ開城記念日にあたり、市の中心部を神輿がパレードする。1492年1月2日、最後のイスラムボアブディルは、カトリック女王イサベルのキリスト軍に対し無血開城し、718年から始まったレコンキスタ(再征服)は完了した。

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チキンソテー

グラナダでの昼食は、比較的評判の良いレストラン・ヴィノテカ(La Vinoteca)にした。こちらはチキンソテー。ターメリックとブイヨンで味付けされた長粒米のライスが付いている。

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レンズ豆のスープ

こちらは、ダル(豆)スープ。レンズ豆のスープで、スパイスが効きつつも尖ってなくマイルドな味である。

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ファラフェル

こちらは、ファラフェルのセット。ファラフェル(Falafel)とはヒヨコ豆あるいはソラマメから作るコロッケで、中東・地中海地域ではポピュラーな料理。野菜とライスがワンプレートにセットされている。

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アラブ風のハーブティ

昼食後、マラガへ移動する前の時間にアラブ街を散策した。革製品やトルコランプなどを売る土産物屋が並ぶ中に、何件かあるアラビア風のカフェ、テテリア(Teteria)では水タバコが体験できる。息子が水タバコを体験する間に、アラブ風のハーブティを頼む。模様で飾られたガラスのコップで飲む。「アルハンブラ宮殿の夢」、「ヘネラルフェの香り」、「ペルシャの紅茶」などのネーミングが面白いが、茶葉はフルーツ系やハーブ系である。

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カチンバ(水タバコ)

アラベスク模様の壁紙やタイル張りの壁が店内いっぱいに広がって、異国情緒が溢れている。グラナダ北アフリカマグリブ地方出身のナスル朝が長く続いたので、イスラム文化が色濃く残っている。ガラスと金属でできた背の高い水タバコセットはカチンバ(Cachimba)と呼ばれる。タバコはフルーティーな味がするという。

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シエラネバダ山脈

グラナダは長距離特急列車が走っていないので、マドリッドに戻るのに大変苦労する。そこで夕方までに特急の走るマラガまで行くことにした。それも普通電車より早いバスに乗る。グラナダの郊外、南東方向にはシエラネバダ山脈が連なり、白銀の山並みが見渡せる。

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ピカソの故郷マラガ

古来より港湾都市として栄え、国際的なリゾート地、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の玄関口として賑わう商業都市、マラガはスペインの代表的画家、パブロ・ピカソが生まれ育った町として知られる。運悪くバスが大幅に遅れ、期待していたピカソ美術館には入場できなかった。

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アルカサバと古代ローマ劇場の遺跡

ピカソ美術館の裏手には、古代ローマの要塞の跡にモーロ人によって11世紀に造られた、要塞アルカサバが建っている。二重の城塞に囲まれた要塞内部には、馬蹄型アーチや幾何学模様が美しい宮殿の一部とイスラム式庭園が残されている。アルカサバの手前には古代ローマ劇場の遺跡が残されている。保存状態が良く、劇場の階段式座席も整然と下の半円形舞台を取り囲んでいる。

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カテドラル(大聖堂)

ピカソ美術館の近くには、マラガの街のどこからでも見える大きなカテドラル(大聖堂)が建っている。16世紀に建設が始まったが、資金不足のため右の塔が未完成のまま18世紀中頃に工事が終了した。そのため「片腕の貴婦人」とも呼ばれる。

ナスル宮殿、カルロス5世宮殿

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カルロス5世宮殿

アルカサル手前のアルヒベ広場は、テンディージャの伯爵によって貯水槽の上に作られた。その広場から茂み越しに、ほぼ正方形のカルロス5世宮殿の西側面が見える。カトリック両王の孫であるカルロス5世が、1526年の新婚旅行でアルハンブラ宮殿に宿泊した際、王とその家族のために建設を決めた宮殿である。

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ナスル宮殿

カルロス5世宮殿の手前を北に向って城壁まで行き右手を眺めると、アルハンブラ宮殿の心臓部、ナスル宮殿が眺められる。グラナダ王国が建国されたのは1238年。相前後してイスラム教徒の本拠地だったコルドバとセビリヤが陥落し、レコンキスタが完了しつつあるという、風雲急を告げる時代のことだった。ナスル朝初代王ムハンマド1世(在位123273年)は、脆弱な国家の基盤を整えるため、仇敵カスティーリャ王国に服属して外交を安定させ、商工業の発展に力を注いだ。賢明な政治によって経済が潤うと、王はアルハンブラ城内に王宮を築城した。それがアルハンブラ宮殿である。初代王の没後も建設が進められ、7代王ムハンマド5世(在位133354年)の世になってようやく完成した。この時代、アルハンブラ城内にはモーロ人貴族を中心に2000人以上の人々が暮らし、モスク、住宅街が整備され、貴族の宮殿は7つを数えたという。中でもナスル宮殿は、外見は無骨ながら、一歩中に入れば幻想世界が展開する、イスラム芸術の結晶だった。

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ナスル宮殿

ナスル宮殿の中に入ると、最も古いメスアール宮があり、ファサードをくぐると中心部のコマレス宮がある。その先はライオン宮となり、諸王の間や二姉妹の間などがあるという。ここからはコマレス宮の外壁と、その奥にコマレスの塔が見える。塔の右側にはアラヤネスの中庭があり、青い池を囲んだ壁のアラベスク模様とタイルが特に美しいといわれる。予約しなかったために中に入れないのが残念である。

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ナスル宮殿

幻想世界の終焉は1492年に訪れた。もはやレコンキスタの勢いに抗しきれないと判断した最後の王ボアブディル(在位148292年)は、カトリック女王イサベルに城を明け渡し、臣下とともに北アフリカに逃れた。その後18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、アルハンブラは荒れ果ててしまったが、19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの『アルハンブラ物語』によって再び世界の注目を集めた。

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アルバイシンの丘とサクロモンテの丘

城壁の外側、谷の向こうにはアルバイシンの丘と、さらに右手の小高いサクロモンテの丘が見渡せる。

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カルロス5世宮殿

ナスル宮殿は夏の別荘であったため、生活の場としてカルロス5世宮殿の建設が命じられたが、建設は1527年に始まり、終わったのは1957年だった。資金不足や反乱のために建設が中止されたり、放置されて天井が崩れたり、困難続きで大幅に完成が遅れた。

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カルロス5世宮殿

宮殿は正方形で建物の正面は幅63m、高さは17mある。全体的に装飾が施されているのは、南側とこの西側のファサードである。

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カルロス5世宮殿

建設を任されたのは、ルネッサンス様式に魅せられた評判の良い建築家、イタリアのミケランジェロに師事したペドロ・マチューカであった。

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カルロス5世宮殿の中庭

カルロス5世宮殿の中央には、直径44mの円形の中庭があり、スペインにおけるルネッサンス様式で一番重要なものとなっている。

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カルロス5世宮殿の中庭

1階はドーリス式の石柱、2階はイオニア式の石柱と、古代ギリシア建築における建築様式が用いられている。建物の中には資料館があって、宮殿に関する多数の資料が展示されている。

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2階の円形回廊

2階の円形回廊を歩くと、ペドロ・マチューカの設計に意欲を感じるが、宮殿は資金不足でほとんど未完成に終わったとされ、カルロス5世は一度も滞在していない。屋根が付いたのも18世紀といわれ、他の洗練されたイスラム建築に比べてかなり評判が悪いそうだ。

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カルロス5世宮殿の外壁

宮殿は63m四方の敷地に建てられ、1階部分の外壁は重厚な石積み(ルスティカ仕上げ)とドーリア式付け柱、2階部分はイオニア式半柱や円形などの採光窓が設けられるなど、外観全体は重厚な雰囲気が漂う。

アルハンブラ宮殿、裁きの門、アルカサバ

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アルハンブラ宮殿とヘネラルフェとの境

イスラム芸術の最高傑作といわれるアルハンブラ宮殿の心臓部のナスル宮殿と、アルカサバ、ヘネラルフェの3箇所は、予約チケットが必要だ。うっかりして予約しなかったため、仕方なく当日販売をあてに朝早くチケット売り場に出向いたが、当日券はなかった。東西に細長く1kmにわたって伸びている宮殿の東南端に、ヘネラルフェとの境があった。右奥に進むとヘネラルフェである。

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アルハンブラ宮殿の赤い城壁

アルハンブラとは、アラビア語の「アル・ハムラー」から転訛した言葉で、「赤い城」を意味する。赤い城壁に沿って西に進み、宮殿中央南の車両の門、あるいは裁きの門から入場できる。

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白い花

車両の門に近づいたところで、道端に白い花を見つけた。後で調べて見ても、なかなか花の名がわからない。花の様子はバラ科カマツカに似るが、実の色が赤くなく青いので、今の所わからない。

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「車両の門」

「車両の門」は、馬車などでも通ることができるように幅広く造られている。道もなだらかになっている。

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サンタ・マリア教会

車両の門をくぐり抜けると、右手にサンタ・マリア教会(Iglesia de Santa Maria)がある。ナスル朝時代にモスクがあった場所に、17世紀に建てられたカトリックの教会である。

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砲台

車両の門をくぐり抜けた左手には砲台があり、大小4機の大砲が並んでいる。その先には裁きの門の上に建つ裁きの塔が見える。

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「裁きの門」

せっかくなので「裁きの門」を下ってみて、下から見上げて見た。この門が市内からゴメレス坂を上がってきて最初に宮殿に入ることができる門である。モーロ人の統治時代、法廷が開かれ民事訴訟関係の裁判が行われたことから、「裁きの門」と呼ばれているという。アラブ風の馬蹄型アーチの入口が二重になっている。手前のアーチの円頂部の上の白い長方形に「手」が彫り込まれている。奥のアーチの円頂部の上には「鍵」が彫られている。「手」はムハンマドの教えのエンブレムで、五本の指は五大戒律(断食、聖地巡礼、施し、沐浴、異端者に対する戦い)を表し、「鍵」は信仰のエンブレムで、預言者ムハンマドに受け渡されたダオウド(ダヴィデ)の鍵を表すといわれる。イスラム教徒がスペインを征服した時、キリスト教徒の「十字架」に対抗して、戦旗に「鍵」を紋章として掲げたことにも通ずるという。現在、「鍵」の上にはキリスト教徒により聖母マリア像が掲げられている。

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「裁きの門」内

大きな門の中は曲がりくねって要塞の雰囲気が漂う。一角に十字架台や聖体顕示台、聖母マリアや天使、聖人の画像など、キリスト教の祭壇を模したコーナーがあった。

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「ブドウ酒の門」

もう一度、裁きの門をくぐり抜けて宮殿内に入ると、正面にはカルロス5世宮殿があるが、左手には「ブドウ酒の門」があった。この門はアルハンブラ宮殿の中でもっとも古い建物の一つと考えられていて、ムハンマド2世の時代のものという。1556年からアルハンブラに住んでいた人々によって、この門に免税ブドウ酒市場が置かれたためにこの名がついたとされる説が有力という。こちらの後面(カルロス5世宮殿側)より向こう側の正面(アルカサバ側)の方が古く、どちらも馬蹄型のアーチの上に二連アーチ付きの窓がついている。後面の窓の真ん中にはナスル朝の盾が刻まれ、窓の隣には「神のみぞ勝利者なり」と記されている。

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モッコク(木斛)の赤い実

門の外側には、モッコク(木斛)の木が植えられ、赤い実をたくさんつけていた。モッコクの実は分厚い花皮が裂けて鮮やかな赤い実を見せる。そのため、アカミツキ(赤実付)という別名がある。

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「ブドウ酒の門」内部

城郭内で唯一アラベスク模様の装飾があるというが、門内部の壁は石やレンガが塗り込められていて古さを感じさせる。

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アルカサバ(要塞)

ブドウ酒の門をくぐると、アルヒベ広場の向こうに建つアルカサバが見える。アルカサバはアルハンブラ宮殿でもっとも古い部分で、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いた要塞で、キリスト教国の攻撃から都を守るため、13世紀、ナスル朝の初代王ムハンマド1世が、アラブ世界の軍事技術を総結集して難攻不落の軍事要塞に増改築させた。ここも予約が必要なので、残念ながら中を見学することはできなかった。

グラナダの夕食

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エルビラ門

アルバイシン地区を下りきったところに巨大なエルビラ門(Puerta Elvira)が建っている。つまりこの門は、イスラム時代のグラナダ城内への入り口にあたるので、アルバイシンに歩いて上る時にはここを目印にするとよい。ライトアップされた姿は、当時の面影を残していて趣がある。

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カテドラル

エルビラ門からグラン・ビア・デ・コロン通りを南東にまっすぐ進むと、カテドラルに近づく。カテドラルのドームの高さは45mもあるというが、外から眺めることは難しい。

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サン・フストと牧師の教会(Iglesia de San Justo y San Pastor)

夕食をとる店を探してカテドラルから北西に向かって歩いていくと、大学(Universidad)広場に面して建つ、大きな古びた教会に行き当たった。このサン・フストと牧師の教会(Iglesia de San Justo y San Pastor)は1575年にイエズス会によって建てられた。このファサードは建築家Joséde Badaにより1719年に完成した。正面扉を取り囲む2対のコリント式柱に支えられた台座の上下に白い大理石のレリーフが二つあり、最上部にはサン・イグナシオの彫像が立っている。

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カルロス5世記念碑

サン・フストと牧師の教会のある大学広場には、カルロス5世記念碑が建っている。カトリック両王の孫、カルロス5世はアルハンブラ宮殿に5世宮殿を建設し、コルドバのメスキータにカテドラルを増築した建築好きの王であった。

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ケソ・マンチェゴ(Queso manchego)

夕食はそこそこ人気のレストラン、La VINOTECAにした。グラナダの赤ワインFontedeiには、スペインで最もポピュラーな羊のチーズ、ケソ・マンチェゴ(Queso manchego)が合う。スペイン中部、ラ・マンチャ地方を発祥とする羊乳を原料としたチーズで、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』にも登場する。

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ヒルのリゾット(Homenaje al Pato en Arroz)

こちらは、アヒルのリゾット(Homenaje al Pato en Arroz)。カリカリに焼いたチーズが添えられているのも一興。

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焼き野菜(Verduras a la brasa)

こちらは、焼き野菜(Verduras a la brasa)の盛り合わせ。タマネギ、ニンジン、アスパラ、ナス、ピーマン、パプリカ、ズッキーニを焼いたものに、マスタードソースをつけて食べる。

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バカラオ(干しダラ)とトマト煮込み(Bacalao Clasico con Tomate)

こちらもグラナダの郷土料理でよく使われる、バカラオ(干しダラ)とトマト煮込み(Bacalao Clasico con Tomate)。

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ラボ・デ・トロ(Rabo de Toro、牛テールの煮込み)

こちらは、コルドバの郷土料理、ラボ・デ・トロ(Rabo de Toro、牛テールの煮込み)。蜂蜜に漬け込んだ肉をドライフルーツと一緒に煮込む。上に乗せたカラメルタマネギも甘みが程よい。

サン・ニコラス展望台から見るアルハンブラ宮殿

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イサベル・ラ・カトリカ広場

大聖堂に入れなかったので、アルハンブラ宮殿を一望する丘、アルバイシンに行くバス乗り場に向かう。イサベル・ラ・カトリカ広場には、イサベル女王とコロンブスの像がある。コロンブスは初め、ポルトガルジョアン2世に資金援助を求めたが断られ、1486年にはスペイン(カスティーリャ)のイサベル女王に面会したが、グラナダ攻撃中の財政難で断られた。ところが1492年にグラナダが陥落した後、考え直したイサベル女王から資金援助を受けて新大陸発見に旅立つことができた。

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サン・ニコラス展望台

イサベル・ラ・カトリカ広場の直ぐ北にあるヌエバ広場から小さなアルハンブラバスに乗り、迷路のような細い石畳の道を上って行く。アルバイシン(Albaicin)の高台にある、サン・ニコラス展望台(Mirador de San Nicolas)でバスを降りる。アルハンブラ宮殿を一望する展望台はいくつもあるが、ここが最も有名で、観光客もたくさん集まっている。

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アルハンブラ宮殿

ここから眺めるアルハンブラ宮殿は、シエラ・ネバダ山脈を背景にして、古都グラナダの街を見下ろす丘の上に威風堂々と展開している。

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ナスル宮殿とカルロス5世宮殿

このアルハンブラ宮殿は、この地を支配していたイスラム教徒の栄華の象徴であり、キリスト教徒との戦いに敗れ、追放される悲劇の舞台でもあった。いくつもの王宮が複雑に増築されて巨大な宮殿を構成しているが、正面のナスル宮殿がアルハンブラ宮殿の心臓部である。右奥に見える四角い建物がカルロス5世宮殿である。

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軍事要塞アルカサバ

さらに右手には軍事要塞のアルカサバが建つ。アルハンブラで最も古く、ローマ時代の砦の跡に、モーロ人が9世紀に築いたものである。キリスト教国の攻撃から都を守るため、アラブ世界の軍事技術を結集した難攻不落の要塞となった。

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ヘネラリフェ

アルハンブラ城外の左手の太陽の丘には、白い建物ヘネラリフェ(Generalife)が見える。14世紀に建設されたナスル朝の夏の別荘で、いたるところにシエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」とも呼ばれる。

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グラナダの夕暮れ

このサン・ニコラス展望台は、シエラ・ネバダ山脈の麓、ベガと呼ばれる肥沃な平野に栄えたグラナダの街も一望できるが、夕暮れが迫ると太陽が赤く焼けて、アンダルシアの地平線に落ちて行く壮大な景観を楽しむこともできる。

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グラナダの夕暮れ

夕陽はどうしても逆光なので、写真に撮るのは難しいが、見ているうちに沈んで行く。

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アルバイシンの屋敷

すぐ日が暮れて行くので、アルバイシンの丘から歩いて下り始める。石畳の道の脇には美しい庭園を持つ屋敷が連なる。グラナダ陥落の際には、アベン・ウメヤに指揮されたモーロ人の抵抗の砦となり、白壁と石畳はおびただしい流血に染められたという。

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アルバイシン地区の坂道

アルバイシン地区は、敵の侵入を防ぐ城郭都市として、中世ムーア人により丘の上に造られたため、景色はいいが坂道が多い。アルハンブラ、ヘネラリフェと並んで世界遺産にも登録されている。

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サン・クリストバル教会

右手の城壁の彼方に見えるのは、1501年に建てられたサン・クリストバル教会(Iglesia de San Cristóbal)。そのすぐ右下にサン・クリストバル展望台がある。サン・ニコラス展望台同様、アルハンブラ宮殿グラナダ市街地、アルバイシンを眺める格好の展望台だが、バスが通っていないので徒歩で行くことになる。

グラナダ、カテドラル(大聖堂)

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グラナダの宿、オスタル

夕方に着いたグラナダの宿もホテルではなく、安宿のオスタルに予約してあった。オスタル(Hostal)とは、ホテルよりも経済的な宿で、家族経営が多く、マークは「H」の中に小さく「s」が書き込まれている。路地に立ち並ぶ住宅街にあることが多いが、看板類がなく見つけるのは難しい。

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サンチョ・パンサドン・キホーテ

中に入ると、オーナーの骨董趣味に驚かされた。エントランスのあちこちに甲冑や彫像や骨董家具の類が陳列されていた。これはサンチョ・パンサドン・キホーテの彫像。

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重装騎兵姿

こちらのスペースには、中世の騎士達の武具が展示されている。甲冑(鎧兜)が最も重装備となった「猟犬面バシネット(ハウンスカル)」の兜に、完成形ともいわれる「プレート・アーマー(板金鎧)」を身につけ、全身を金属の甲冑で覆った重装騎兵姿は、16世紀になって銃撃戦が戦闘を決定するようになると、急速に姿を消し、儀礼用および装飾用となったといわれる。壁には中世の騎士が剣とセットで用いていた重厚な「カイト・シールド(凧型盾)」が掛けられていた。

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ロマニラ(Romanilla)広場

スペイン南部にあるグラナダは、ローマ時代に起源を持つ歴史ある都市で、1236年にコルドバキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めた。そして1492年のグラナダ陥落まで2世紀半にわたり、レコンキスタの暴風に晒されながら、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築き、そこに華燭の炎を燃え上がらせた。宿からカテドラルに向かうと、近くのロマニラ(Romanilla)広場から鐘楼が見える。

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ロバの銅像

このロマニラ広場一帯は、17世紀初めにはジェノヴァの商人により所有されていた。1636年にカプチン姉妹の修道院が建てられ、1837年に壊された後、広場や市場ができた。市場はその後移転したが、広場の周りには宿やレストランが建ち並んでいる。広場の中心には、荷を担ぐロバの銅像がある。

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グラナダ大聖堂(カテドラル)

グラナダの街の中心に建つグラナダ大聖堂(Catedral de la Encarnación de Granada)は、カテドラルと愛称され、スペイン・ルネサンス建築の傑作とみなされている。1492年のグラナダ陥落後、モスク跡にイサベル女王の命により1518年から建設が開始され、181年後に完成した。ゴシック様式を基礎に、装飾にはアラブ的なムデハル様式を折衷的に用い、ルネサンス風に意匠の統一もなされた。設計段階ではこのファサードの両脇に高さ81mの塔が建つ予定だったが、財政的な理由などで左側の塔一つとなった。右脇にはサグラリオ教会が造られた。

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カテドラルのファサード

聖堂内はとても明るく、ドームの複雑なデザインや大きなフレスコ画、ステンドグラスの窓や黄金に彩られた主祭壇などに圧倒されるという。普段なら見学できる時間帯なのだが、行事があるとのことで残念ながら中には入れなかった。

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カトリック両王の紋章

建物の外を回って行くと、砂利で模様を象った一角を見つけた。右奥の紋章は、1492年以降のカトリック両王の紋章と思われる。

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王室礼拝堂

カテドラルとつながっている王室礼拝堂(Capilla Real)には、女王イサベル1世とその夫フェルナンドの墓がある。また聖具室にはイサベル女王の収集品が収められていて、女王の王冠や王笏、フェルナンド王の剣などがある。また、16〜18世紀のイタリア、スペインなどの画家達の作品もあるという。

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大聖堂の外壁

大聖堂の外壁には何やら文字が描かれているのだが、落書きなのかどうかはわからない。

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大聖堂のドーム

大聖堂はそれこそグラナダの中心にあるのだが、周りに大きな広場がなく、全体像が掴みにくい。遠くに離れて行くと、ようやくドームの屋根が見えてくる。