半坪ビオトープの日記


多摩丘陵の北や西にあたる多摩市側は、かなり前から開発され市街地となっている。東と南にあたる川崎市側は、最近まで斜面緑地が残っていて、黒川よこみね緑地保全地区とされてきたが、2004年に小田急はるひ野駅ができる前後から、この地も住宅地として造成されてきた。
この細い道を進むと黒川はるひ野地区になる。かつて川の水が澄んで川底が黒く見えたことから、黒川と呼ばれるようになったという。よこやまの道は、右手に下る。

瓜生黒川往還をあとに緩やかに下って行くと、もみじの広場に出る。真中に「多摩よこやまの道」の石碑があり、左手に「古代東海道と丸山城」の案内板がある。

飛鳥時代後半から平安時代初期にかけて、この辺りの古代東海道が相模と武蔵の国府を結んでいて、道幅も10mほどあったという。
この斜面上の高台付近は、かつて丸山城と呼ばれ、中世には物見や狼煙台があったと推定されている。

この尾根道の南東側には、まだ畑地が所々に残っていて、農業が営まれている。