ワット・プラケオと王宮はチャオプラヤ川の東岸に並ぶが、川の対岸(西岸)にはワット・アルンが建っている。アルンとは暁の意味であり、三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台ともなり、英語でTemple of Dawn と呼ばれるが、それが『暁の寺』の由来になったとされる。
ワットポー裏手のター・ティアン船着場から渡し船で行くのが普通だが、ホテルのあるトンローから、スカイトレインと地下鉄を乗り継いでサナーム・チャイ駅に行き、そこからタクシーを使ってワットアルンの西側に着いた。
ワットアルン の入り口近くには、御堂(礼拝堂)がいくつかあり、堂内には金色に輝く大きな仏像があって、庶民が祈りを捧げる神聖な場であることがわかる。
ラーマ2世により建立された本堂は、仏塔群とは離れた位置にあるので、見る時間がなくなってしまったが、この礼拝堂に安置されている仏像も本堂の仏像に劣らず荘厳な威容を誇っていた。
ワット・アルンの最大の見所は、中心に聳えるバンコク様式の大仏塔。トウモロコシのような形をした大仏塔の高さは75m。これは創建時にあった高さ16mの仏塔をラーマ3世が改築したもの。台座の周囲は234mもあるという。大仏塔の周囲には4基の小仏塔が配され、須弥山を具現化している。
ワット・アルン の正式名称は、ワット・アルン・ラーテャワラーラームといい、第1級王室寺院でもある。双剣の記録は残っていないが、アユタヤ朝時代にはワット・マコークと称し、1767年のアユタヤ朝滅亡後、この地を掌握したタークシンにより修復され、ワット・ジェーンとしてトンブリー王朝の王宮寺院となった。のちのバンコク王朝(現チャクリー王朝)の創始者ラーマ1世は、トンブリー王朝時代の1779年にタークシン王の命を受け、ヴィエンチャンを攻略、戦利品としてエメラルド仏を持ち帰り、この寺院に安置した。1782年にバンコク王朝ができ、エメラルド寺院が建立されたので、エメラルド仏はそこに移された。1820年にラーマ2世によりヒンドゥー教の暁神アルーナから現在の名称が与えられ、ラーマ2世の菩提寺となった。大仏塔には急な階段がついており、上るとチャオプラヤー川やバンコク市街が見渡せる。
仏塔の表面は砕いた陶器の破片で装飾され、飾りつけられた無数の石像は、インドラ神とその乗り物である3つの頭を持つエーラーワン象(アイラヴァータ)を筆頭に、ガルーダ、鬼神のヤック、猿神のモック、キンナリ像など『ラーマキエン』に登場するものばかりだ。
階段の上から見る小仏塔も、大仏塔とほとんど同じ作りをしていて、一回り小さいだけである。
チャオプラヤー川の向こうにはワット・プラケオやワット・ポーの建物群も垣間見える。手前には船着場も見える。
ワット・アルンの船着場から振り返ると、ワット・アルンの大仏塔が大きく見える。
チャオプラヤー川の向こうにはワット・プラケオやワット・ポーの建物群も垣間見える。手前には船着場も見える。
チャオプラヤー川に沿った寺院などの観光施設を行き来する水上バスも様々な種類があって頻繁にすれ違う。
バンコク市内には運河も張り巡らされており、水上タクシーや運河ボートなどいろいろな船が行き交っていて高層ビル群との対比も面白い。