半坪ビオトープの日記


延元元年(1336)後醍醐天皇が吉野の吉水院宗信の援護のもとにここを南朝の行宮とした。鎌倉時代初期のこの建物は、日本最古の書院造りで、奥行きの浅い床の間、四寸角に八分の面取り柱、木製の六葉型の釘隠しなど珍しい手法が数々見られる。

文治元年(1185)源義経は頼朝の追手を逃れて吉野に潜入しこの書院に5日間だけ隠れ住んだ。この「義経潜居の間」は、室町初期の改築で床棚書院の古風な遺構である。義経の色々威腹巻、静御前の長巻など悲恋物語の舞台として遺物が多く展示されている。

こちらの「後醍醐天皇玉座の間」は、後年秀吉が花見に際し修理したもので、桃山時代の風格を残している。

これが今から凡そ千三百年前の白鳳年間にここを開基したと伝えられる役行者倚像で、前後鬼座像も含めて室町時代作の木像である。

この金屏風は、秀吉が花見に使用した狩野永徳筆の「桜の図」で桃山時代前期のものである。ほかにも狩野山雪筆の「竹の図」の屏風や襖絵もあった。

吉水神社の主祭神後醍醐天皇である。隣には10年前に不審火で焼失した勝手神社のご神体が仮遷座している。