半坪ビオトープの日記


日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀っている。元和2年(1616)に家康が駿府で死去すると、遺命により久能山に葬られた後、翌年には日光東照宮に改葬された。作事奉行は藤堂高虎だった。寛永11年(1634)に三代将軍家光が日光に社参し、寛永の大造替が着手され、寛永13年に完了した。作事奉行は藤堂高虎だが、作事方大棟梁は甲良宗広が務めた。
大きな社号標の先に、大きな一の鳥居が建つ。

この石鳥居は、鎮座翌年の元和4年(1618)筑前藩主黒田長政により奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後、陸路人力で日光まで運ばれたという。
高さ9m、柱の太さ3.6mあり、京都八坂神社・鎌倉八幡宮のものと合わせて日本三大石鳥居と呼ばれるが、江戸時代建造の石鳥居としては日本最大である。後水尾天皇が書いた「東照大権現」の扁額だけで畳一枚分の大きさがある。

鳥居をくぐってすぐ左に五重塔が建っている。慶安3年(1648)若狭国小浜藩酒井忠勝により奉納された。文化12年に火災にあったが、文政元年(1818)に同藩主酒井忠進により再建された。
塔の高さは約36m。

内部は吹き抜けになっていて、中心を貫く直径60cmの心柱が4層から鎖でつり下げられ、その最下層は礎石の穴の中で10cmほど浮いている。これは耐震・耐風・伸縮ひずみ対策の構造である。この耐震構造は高く評価され、東京スカイツリーにも応用されたことを記念して、初重の金色の心柱を公開していたが、残念ながら内部の撮影は不可だった。

初層を飾る十二支の彫刻は、子(=北)、卯(=東)など、それぞれ方角を表している。

初層から4層までは、屋根の下の朱色の垂木の列が平行の和様、5層は扇の骨のように放射状の唐様になっている。