半坪ビオトープの日記


梅雨の合間のこの週末に日光と尾瀬に出かけた。どちらも久しぶりだが、世界遺産になった東照宮周辺を、くまなく見て歩くのは初めてのことである。
東照宮輪王寺の手前には大谷川が流れ、神橋が架かっている。かつては日光山の行者、朝廷の勅使、将軍しか渡ることができなかった神聖な橋であり、古くは大同3年(808)に下野の国司が勅命で架け替えたという記録がある。以後、16年毎に改修され、江戸時代だけでも12回改築されたという。
伝承によれば、神護3年(767)に日光開山の祖、勝道上人が弟子とともに急流を前にしたとき「深沙大王」が現れ、青と赤の大蛇を放すと絡み合って橋となり、蛇のうろこに山菅が生え、渡りやすくなったということから「山菅の蛇橋」とか「御橋」とも呼ばれたという。アーチ形の木造反り橋で、その構造から錦帯橋山口県)、猿橋山梨県)と並んで日本三奇橋の一つに数えられている。

神橋と並ぶ日光橋の手前に、天海大僧正銅像が建っている。徳川家康から家光まで三代の将軍に仕え、金地院崇伝とともに「黒衣の宰相」と呼ばれた。家康の死後、日光に東照宮を造らせたことから日光山中興の祖と評される。上野・寛永寺の開山も同じく天海である。

天海像の真向かい、日光金谷ホテルの入口に、板垣退助銅像が建っている。明治初期の自由民権運動で知られる板垣が明治元年戊辰戦争の時、新政府軍の将として、日光に立てこもる旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったといわれる。

日光橋を渡った正面に、世界遺産日光の社寺」と彫られた石碑がある。日光東照宮二荒山神社輪王寺の国宝9棟、重文94棟の計103棟の建造物群と取り巻く遺跡が、平成11年(1999)に世界遺産に登録されている。

その左手、神橋の北岸に深沙大王の祠が建っている。深沙大王は、開山の勝道上人が大谷川を渡らせてくれたが、毘沙門天の化身であり、唐の玄奘三蔵が仏法を求めて天竺を旅した際に危機を救った神とされている。

東照宮の駐車場に甲良豊後守宗広の銅像がある。宗広は東照宮寛永の大造替のときの作事方大棟梁として知られる。家康の伏見邸の建築を手がけたり、増上寺山門の棟梁も勤めている。