半坪ビオトープの日記


前日に混雑していて見残した塩竃神社に帰りがけに寄ったが、ここから当分の間、カメラの設定が間違っていてほとんどが露出オーバーとなってしまった。外に記録がないので残念ながらこれで我慢する。
本塩釜駅の北西、一森山にある塩竃神社は、「弘仁主税式(820)」によると、陸奥国正税の6分の1にあたる1万束(1000石)の歳幣を受けている。ただし不思議なことに、延喜式神名帳には隣の志波彦神社しか載っていないという。古くから陸奥国一宮と称し、江戸時代には伊達氏の尊崇を受けるとともに、庶民にも広く崇敬されてきた。ちょうど30種200本余りの桜の花の満開をGWに迎えて参拝客・花見客がたくさん集まる。塩竃神社は山の上にあるので、普通は東参道(裏坂)のある駐車場から参拝する。この裏坂は、奥州藤原氏3代目秀衝が開いたという。

塩竃神社の本来の表参道(表坂)は、202段ある急勾配の階段で、上から大きな石鳥居が見下ろせる。藩主参拝口のこの鳥居は、寛文事件(伊達騒動)で知られる原田甲斐の造立で「寛文3年(1663)松平亀千代(綱村)」の銘をもつ。

表参道を上り詰めたところに構える楼門(随神門)は、桃山様式の3間銅板葺き2層朱塗りの絢爛豪華な門であり、仙台藩4代藩主伊達綱村が造営した。

楼門の内側には銅板葺き朱塗りの回廊が巡っていて、そこに唐門がある。唐門は通常唐破風をもつが、この神社の唐門は銅板葺き朱塗り切妻造の四脚門で、唐破風をもたない。

塩竃神社の現在の社殿は、4代綱村と5代吉村が9年の歳月をかけて宝永元年(1704)に完成させたもので、左宮・右宮・別宮の本殿・幣殿・拝殿・楼門・唐門・回廊とも国の重文に指定されている。入母屋造銅板葺き朱漆塗りの拝殿は、正面7間・奥行4間である。
祭神は、別宮に塩土老翁神主祭神として祀り、左宮に武甕槌神、右宮に経津主神を祀っている。塩土老翁神は海や塩の神格化といわれる。神武天皇や山幸彦を導いたことから、航路安全・交通安全の神徳を持つと考えられている。

拝殿の裏には桧皮葺素木仕上げの瑞垣、回廊、幣殿、本殿が続く。本殿は3間社流造、幣殿は切妻造妻入、回廊中央部は切妻造妻入、左右を切妻造平入とする。
拝殿の右手には、満開の塩竈桜が咲いている。サトザクラの園芸品種で、40〜60枚の花弁をつけ、花の中心のめしべが小さな葉に変化している。古くから有名で、境内の27本が国指定の天然記念物である。

左右宮の手前東に建つ別宮は、本殿・幣殿・回廊・瑞垣ともほぼ左右宮と同じだが、拝殿は正面5間・奥行3間である。