半坪ビオトープの日記


観瀾亭の庭から北の方を眺めると福浦島が見える。面積6haほどの島で、弁財天や縄文時代貝塚など歴史ある史跡も残されている。

全長252mの朱塗りの橋で陸と繋がれている姿が、刻々と変わる海と空の色合いとともに味わい深く眺められるはずだが、この時はあいにくの薄曇りで今一の感があった。

この朱塗りの橋は別名「出会い橋」とも呼ばれている。ちなみに松島海岸には赤い橋が3つあり、このほか五大堂の透かし橋(縁結び橋)、雄島の渡月橋(縁切り橋)がある。

遊歩道を散策しながら進むと弁財天に着く。橋がまだ架かっていなかった昔は、毎年4月12日には船でこの島に渡って弁財天の祭礼をしたそうである。

弁財天の向かいには松島湾に浮かぶ島々が見える。裏手に見えるこの島は二つに見えるが一つの引通島である。島の説明板もあるので、名前を確認できるのがいい。

県立自然植物園となっている島内には、ツバキ、アカマツ、スギ、モミなど数多くの樹木や草花が自生している。
ともかく橋を渡るだけで200円通行料がかかり、遊歩道を散策するだけなので時間に余裕のない人には勧められない。

この島はずっと南にある雄島だが、ここに架かっていた渡月橋(縁切り橋)は津波で破壊され、実際に縁が切れていて渡ることができない。
雄島は松島の地名発祥の地として有名である。見仏上人が12年間もの長きにわたって島から一歩も出ずに修行した偉業を讃えて、ときの後鳥羽上皇から千本の松を贈られたことにより「千松島」と呼ばれ、それが転じてこの地一帯が「松島」となったという。この雄島には108の岩窟があったといわれ、現在でも50ほど残っているそうだ。これらの岩窟は修行僧らが死者の浄土往生を祈念したもので、内部の壁面には卒塔婆や仏像、法名を彫った跡が数多く見られ、全体が霊場のようになっているという。
また、「立ち帰り またも来てみん 松島や 雄島のとまや 浪にあらすな」(藤原俊成新古今和歌集)など歌枕として詠われている。芭蕉瑞巌寺を詣でたあと雄島を訪れて、「おくのほそ道」にその印象を「雄島が磯は地つづきて海に出たる嶋也」と誤って記している。