半坪ビオトープの日記


柴又帝釈天参道のすぐ北にお寺がある。正式には真言宗豊山派の石照山真光寺真勝院というが、一般に真勝院と呼ばれる。
大同元年(806)の創立と伝えられる古刹であるが、開創の由来や開山等の名は明らかではない。永禄7年(1564)の国府台合戦の兵火など何回か火災に遭い、再建を繰り返してきた。

鐘楼の鐘は、宝暦4年(1754)鋳造とされる。

境内右側に、万治3年(1660)柴又村名主済藤次良衛門等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を祈って仏事を営むこと)のために造立した五智如来石像がある。密教では大日如来の知恵を五つに分け、これに五仏をあて五智如来という。右から阿閦(あしゅく)如来宝生如来大日如来阿弥陀如来不空成就如来の順に並び、中央の大日如来真言宗では最高の仏として寺院の本尊とする。

真勝院の本堂は、昭和47年の新築である。江戸時代には付近の古社柴又八幡宮別当寺として管理し、永仁4年(1296)の板碑を蔵している。
本尊は、不動明王・両童子・四天王立像という。
柴又七福神としては弁財天を祀っている。弁財天はヒンズー教の女神サラスバーティーを由来とする水の神で、音楽・弁舌の能力も与えてくれる、知恵と財宝の神でもある。真勝院の弁財天は、金光明最勝王経に表される八臂像の仏像であり、頭には人頭蛇身の宇賀神が乗る珍しいものだが、1月7日までの開帳だったので残念ながら見ることができなかった。

本堂の左にはいくつか石塔が立っている。由来はわからないが多分代々の和尚の墓と思われる。