半坪ビオトープの日記

ソメイヨシノ(染井吉野)

サクラの開花宣言から10日ほどたってようやく5分咲きから満開となった。職場の庭のソメイヨシノも8分咲きだ。
サクラの花を見ながら宴会をする、いわゆる花見の宴はいつごろからであろうか。万葉集にはウメの花がサクラの3倍ほど歌われている。奈良時代には中国から花を観賞する文化も伝わり、上流社会に愛されたからであろう。貴族の庭にはかならずウメの木が植えられ、ウメを詠むことが文化の基準であった。都が京都に移ってまもなく、弘仁3年(812)神泉苑で行われた花見はサクラで、左近のウメがサクラに植えかえられた。このあたりがウメからサクラへの移行期であろう。
ウメの花を酒盃に浮かべる雅びを詠んだ歌は万葉集にいくつもあるが、サクラの花びらを酒に浮かべる風雅を詠んだ歌は一つもないのだから、当時、ウメの花は庭で眺め、サクラの花は山で見晴らしたか、庭のかなたの借景の山桜を眺めやったのであろう。ともかく平安時代になってから、サクラが花見の対象となり、江戸時代になって庶民の行動文化として全国的流行を見ることになった。
古今和歌集以降、短歌の世界でも、サクラが中心になっていく。
世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし   
在原業平  古今集
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ     
紀友則   古今集
ねがわくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃    
西行法師  山家集
はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花に物思ふ春ぞ経にける         
式子内親王 新古今集