半坪ビオトープの日記

モモの花

昨日今日と4月下旬の暖かさで汗ばむ陽気だった。昨日は夜半からヤマアカガエルが鳴きだし、明け方の5時40分まで断続的にキィララララ、キィララララと鳴いていた。私の寝床からも聞こえるので、いつ鳴き止むか耳を傾けているうちに夜が明けた。相手が現れるまで鳴き続けるのかと思うと、我がことのように気になってしまうものだ。
さて、昨日の日曜日に近所の庭でモモの花が満開になっているのを見つけた。
モモは中国黄河上流域原産で、古くから渡来し、弥生時代の遺跡から核が出土する。モモとは果実をさす名で、真実、燃実、百から由来するなどの説がある。4月に葉と同時かやや先に淡紅色の5弁の花を咲かせる。花色は白から紅まで変化が多く、八重咲きもある。
日本書紀神代巻に、イザナギが雷に追われて逃げ帰ったとき、道端の桃の実を投げつけたら雷どもはみな逃げたとあるが、これが桃で鬼の邪気を払う起源である。この霊力は古代中国の山海教や淮南子などに記されていてそれが伝わったものだ。文武天皇の頃から年末大晦日追儺(ついな)式として年中行事となり、桃弓、桃杖で鬼を追い払ったとされる。それが民間に普及し、やがて桃太郎の鬼退治となる。
中国では、漢の武帝が長寿を願っていたときに、西王母天下り仙桃を七つ贈った、という故事などから、桃花餅や桃の酒は不老長寿の妙薬と考えられていた。そのほか桃源郷の話など数え上げたらきりがない。
鳥居清長の「花十景」の中の桃園は中野村の桃園で、これは八代将軍吉宗が鷹狩に行った折、五代将軍綱吉が何万匹という犬を飼わせていた犬小屋を見てそれを壊させ桃を植えさせて桃園にしたものである。江戸後期には二百種にも及ぶ桃の品種が作り出されたという。
万葉集には「桃」と「毛桃」で6首出ているが、そのうち3首が恋の実りを暗示している。
しかし、桃の歌で最も有名なのは次の大伴家持の歌であろう。
春の苑紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ乙女 (巻19−4139)
(通釈:春の苑はくれないの色に照り映えている。桃の花に染められてほのかに赤く色づいた道に佇んでいるよ、乙女たちが)