半坪ビオトープの日記

フユノハナワラビ

光圀は後楽園の造成に当たり明の遺臣朱舜水の意見を用い、円月橋・西湖堤など中国の風物と琵琶湖や京都の景観を随所に配置させた。後楽園の名は、中国の范仲淹(はんちゅうえん)「岳陽楼記」の「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から、舜水の命名による。三大名園の岡山の後楽園と区別するため大正時代に小石川の名が冠されたが、こちらのほうが先に造られている。琵琶湖を模した大泉水の中央にある蓬莱島を臨む一つ松の近くに、このフユノハナワラビが咲いている。春夏は枯れていて、秋から冬にかけて花に似た胞子葉を咲かせる一風変わった羊歯である。今は緑色だが、徐々に黄金色になっていく。