半坪ビオトープの日記

橿原考古学研究所附属博物館3、縄文時代の道具、土偶

縄文時代晩期の橿原遺跡から出土した動物の骨など
縄文時代後期(約4,000年前)より以前の遺跡は、奈良県下では山間部に集中している。木津川水系の各河川がつくる谷や、吉野川水系の谷に広がった縄文遺跡は、安定した食用植物と動物・魚類によって、豊かな生活が保障されていた。同じ頃の奈良盆地は、沼沢地から乾燥した平野へと変化しているところだった。居住に不向きな盆地中央を避け、縁辺部の扇状地に遺跡が散在している。遺跡からは土器のほかにも狩猟・採集時代の生活に関わる様々なものが出土している。縄文時代晩期(前1,000〜前600年)の橿原遺跡から出土した動物の骨は、イノシシ、ニホンザルニホンジカ、クマ、アナグマ、キツネ、タヌキ、カモシカ、ウサギ、カワウソ、オオカミ、イヌ、テン、ムササビなど多彩で、ほかにもカモ、キジ、カメ、コイなどがある。また、石鏃のほか弓弭(ゆはず)、根ばさみ、ヤス、軽石製ウキ、有孔円盤などの道具類も出土している。

橿原遺跡から出土した食器や食事に関わる土器や石器
同じく橿原遺跡からは、打製石斧、磨製石斧、石皿、浅鉢、深鉢、スプーン状土器など、食器や食事に関わる土器・石器も出土している。

漆製品の出土例

漆は縄文時代から使われていて、世界最古の漆器は7,000年前の中国の朱塗りの椀とされ、その後、漆と漆の木ともども日本に伝わったと考えられていた。しかし、北海道函館市垣ノ島遺跡から発見された副葬品の肩当て部分の軸糸自体を漆で染めたと思われる漆製品が、放射性炭素C14年代測定法により約9,000年前の遺物と測定され、世界最古の漆製品とされた。垣ノ島遺跡は、太平洋に面した紀元前7,000年〜前1,000年頃にわたる定住を示す集落遺跡である。しかし、この漆加工品など6万点余りの出土品は、2002年に焼失してしまった。現在、世界最古の漆加工物は、列島最古の漆材である福井県鳥浜貝塚出土の縄文時代草創期の木の枝で、約12,600年前と測定されている(2011)。

写真の一番左下隅には漆塗り木製鉢が、その上には漆塗り腕輪、漆塗り浅鉢が、中央の列には赤色顔料の付着した土器や水銀朱を入れた土器が、さらに右の列には漆塗り耳栓や耳飾りなどの装飾品が展示されている。

ここで年代測定について、一言。放射性炭素C14年代測定法とは、炭素の放射性同位体の一つであるC14の性質を利用して有機物を含む物体の年代測定を行う手法である。1940年代後半にシカゴ大学のウィラード・リビーにより開発され、リビーはその功績で1960年のノーベル化学賞を受賞した。年代を測定する仕組みは門外漢には理解不能なので残念ながら省略する。誤差と信頼性については開発当初から議論が続き、修正を加えられてきた。日本の考古学にも応用され、測定により日本の縄文土器が世界最古とされ注目を浴びた。しかし、実際の年代より古く推定されるのではとの疑念もあり、依然として議論が続いている。土器の型式と制作時期、さらに被葬者との関係と同様に、素人の門外漢としては、学説の一つとして参考程度に捉えておきたい。

橿原遺跡から出土した土偶

土偶とは、縄文時代頃に日本列島で作られていた人体(一部も含む)を模った土人形で、狭義では動物や道具を模ったものは土製品という。全国の出土総数は約15,000体で、出土分布は東日本に偏っている。土偶の大半は破損していて、特に脚部の一方のみを故意に破壊した例が多く、災厄を祓うためと考えられている。女性の人体は大きくデフォルメされていて安産・多産を祈るとする説もある。

ここに陳列されている土偶は、縄文時代晩期(前1,000〜前400年)の橿原市橿原遺跡から出土したもので足の土偶が多く、体部や中空土偶もある。

橿原遺跡出土の土偶体部
右手前には橿原遺跡出土の土偶体部(消化器官)が展示されているが、どうやって消化器官と判明したのだろうか。他にもさまざまな形の土偶が各地から出土している。

縄文時代中期末〜後期の宮の平遺跡や橿原遺跡出土の動物形土製品と御物石器
手前にあるのは動物意匠を表現した縄文時代中期末〜後期の川上村宮の平遺跡や橿原遺跡出土の土器で、ヘビやムササビを模った動物形土製品が多い。中央の御物石器(複製)は奈良市大森町から出土した縄文時代晩期の石器。御物とは皇室所蔵品となったもの。左端にあるスタンプ状土製品は御所市玉手遺跡から出土した縄文時代後期のもの。

各地の遺跡から出土した石棒

こちらは縄文時代後期〜晩期の遺跡から出土した多様な石棒。石棒(せきぼう)とは、縄文時代磨製石器で、男根を模したと考えられる呪術・祭祀に関連した特殊な道具と見られる。最古の石棒は、千葉県大網白里市升形遺跡出土の旧石器時代後期(約24,000年前)のもので、最大の石棒は、長野県佐久穂町にある北沢大石棒で、長さは223cm、直径は25cmである。

橿原遺跡へ運ばれた石斧、サヌカイト製石器、黒曜石やヒスイ製玉などの装身具他
右手には橿原遺跡へ運ばれた、石斧、サヌカイト製石器などの石材、左手には、交易で橿原遺跡に運ばれた黒曜石やヒスイ製玉などの装身具、及びフグやエイ、ウミガメやクジラなどの骨が展示されている。

縄文時代晩期の土器の文様の数々
こちらは橿原遺跡から出土した、縄文時代晩期の土器の文様の数々。九州系の文様、瀬戸内系の文様、東海系・中部系・関東系など地域の違いが見られる。右奥には東北系の文様が見られる。

遠隔地との交渉
縄文時代の後半には土器や石材などの遠隔地との交渉が盛んとなる。黒曜石は長野県の和田峠、サヌカイトは奈良県二上山香川県の金山遺跡、ヒスイは新潟県糸魚川河口周辺と産地が広く知られて交易も盛んとなった。それに伴い、各地の土器も行き来した。