半坪ビオトープの日記


聖武天皇が仏教により国を平和に治めようと願い、東大寺の創建と大仏の鋳造を発願し、日本各地に国分寺を建立したのが天平13年、信濃国には上田に置かれた。
平将門承平天慶の乱で焼失、現在は創建当時より北方にに移されたという。この本堂(薬師堂)の再建は1860年竣工で、近世の堂としては東信地方最大の建造物である。
今も「八日堂」「お薬師様」といわれ、正月八日の縁日「ダルマ市」などで親しまれている。

国分寺の東南の一角に美しい姿を見せているのが三重塔で、源頼朝発願と伝える塔内に建久8年の墨書があったとされるが、様式上、室町時代中期の建立と推定されている。

外観は軒反が強く壮麗で、一部唐様のほか和様式であり、内部は純唐様式で、仏像は大日如来木造である。

本堂裏には蓮田があり、ハスの花が満開で見事だった。

ハスの花はほとんどが桃色だが、中には白い花もあった。

蓮田の脇にはハンゲショウ半夏生、Saururus chinensis) の群落があった。別名のカタシログサ(片白草)のように、上部の葉は白くなる。