半坪ビオトープの日記


江戸時代初期の狩野派によるテッセンの絵の後も、中期には伊東若冲などがテッセンやカザグルマの花の絵や文様を描いている。

その頃には白、桃、濃紫などの花色や、花弁の幅の変化や八重咲きも作られていた。

また、絵画だけでなく、織物の文様や金彫、木彫の文様などにも幅広くデザイン化されていた。

クレマチスがヨーロッパで注目されたのは19世紀中期であり、印象派のマネ、モネらが初めて西洋絵画の中にクレマチスを描いたのは19世紀末であったのだから、日本ではかなり早くから美術の対象となっっていたといえよう。