半坪ビオトープの日記

ジェノヴァ、赤の宮殿、白の宮殿


ジェノヴァヴェネツィアとともに海洋貿易で栄え、全盛期の16〜17世紀には豪壮な館が競うように造られた。王宮のあったバルビ通りから東にガリバルディ通りへと続く、昔の栄華を伝える豪華な邸宅群はストラーデヌオーヴェと呼ばれる。そのガリバルディ通りに面して、赤の宮殿、白の宮殿、トゥルシ宮、ドーリア宮などの重要な建物が並ぶ。赤の宮殿は、建築家ピエトロ・アントニオ・コラーディにより設計され、1671年から1677年の間にブリニョーレ・サーレ家の兄弟により建築された。宮殿の名称はファサードに使われている赤い石材に由来する。1874年、ガルリエーラ公爵夫人マリア・ブリニョーレ・サーレが芸術振興のためにジェノヴァ市に宮殿とコレクションを寄付し、現在は美術館として活用されている。

当初はガルリエーラ公爵夫人が所有していた肖像画などが大半を占めていたが、現在ではこれらに加えて、アンソニー・ヴァン・ダイク、ヴェロネーゼ、デューラーなど著名な芸術家の作品も数多く収蔵されている。

この絵はキリストを描いたものと思われるが、題名も芸術家名も失念した。

これはグエルチーノの「クレオパトラの死」。グエルチーノ(1591-1666)はボローニャ近郊のチェントに生まれた宗教画家で、カラッチ兄弟、カラヴァッジョなどとバロックという一時代を形成した。

こちらの牛など家畜が集まる絵も詳細不明である。

この肖像画は、アルブレヒト・デューラーの「若者の肖像」。ドイツ美術史上最大の画家ともいわれるデューラー(1471-1528)は、ニュルンベルクの生まれで、皇帝マクシミリアンの宮廷画家となっている。「アダムとイヴ」や「四人の使徒」が有名である。

こちらはヤン・ウィルデンスの「氷上のスケート」。17世紀バロック時代に名声を轟かせたルーベンスは、アントワープに大規模な工房を組織して数々の名作を生み出したが、その工房で働いた画家との共同制作も多い。そうした画家では、のちにイギリスの宮廷画家として有名になるヴァン・ダイク、動物画を得意としたスネイデルス、花を得意としたヤン・ブリューゲル(父)、風景画家のヤン・ウィルデンスなどがいる。この「氷上のスケート」によく似た「雪中の狩人」という作品は、日本でのピーテル・ブリューゲル展でよく見かけるが、氷上ではスケートのほかカーリングで遊ぶ姿も描かれている。

赤の宮殿の向かいには、白の宮殿とトゥルシ宮が並んで建っている。白の宮殿は、1530年から1540年の間に、ルーカ・グリマルディのために建造され、18世紀にバロック風のファサードやトゥルシ宮と繋がる中庭が造られた。1884年にマリア・デ・ブリニョル・サレ公妃により市に寄贈され、建物の一部は市庁舎として使用されている。17〜18世紀のジェノヴァ派とフランドル派の絵画を展示する市立美術館にもなっている。

中庭には噴水があり、その向こう左手が白の宮殿で、右手の建物がトゥルシ宮だが、ここからトゥルシ宮へは行けない。

白の宮殿の入り口付近には古代ローマの人物像の彫刻が睨みを聞かせている。

ここには「祝福を受けるキリスト」というハンス・メムリングの絵があるのだが、残念ながら見逃してしまった。この絵は、カラヴァッジョの「エッケ・ホモ」である。ヨハネ福音書の中で、これから磔にされるキリストを前に、侮辱し騒ぎ立てる群衆に向けて、ポンティウス・ピラトが「エッケ・ホモ(見よ。この人だ)」と発した場面である。

こちらの絵も詳細不明だが、弓矢を受けて殉教する様子なので「聖セバスティアヌス」であることがわかる。

この絵の題名も画家も書き留め忘れてしまったので不明である。

この絵の題名は「受胎告知」だが、画家の名は不明である。