半坪ビオトープの日記

マッシモ宮(ローマ国立博物館)


サン・ピエトロ大聖堂バチカン市国の見学は終わりにしてテルミニ駅近くに戻る。駅前には五百人広場と共和国広場があり、その西側にマッシモ宮がある。19世紀後半に建てられたネオルネッサンス建築様式のパラッツオ全体がローマ国立博物館に充てられている。ここには紀元前2世紀から紀元4世紀の作品を主に展示している。主な収蔵品は、19世紀後半にローマ及び周辺から発掘された古代の彫刻、壁画、モザイク、考古遺物などで、さらに20世紀初頭に枢機卿ルドヴィシが寄贈したギリシア時代等のコレクションが加わっている。

これはローマ神話のミネルヴァ女神像。知恵と技芸の女神で、ギリシア神話のアテナにあたる。

3階には、ローマの中心部を流れるテヴェレ川の護岸工事(1879〜)の際に存在が明るみになった、紀元前1世紀の「ファルネジーナ荘の壁画」が展示されている。

ファルネジーナ荘のトリクリニウム(横臥食卓のある古代ローマの貴族の家の食堂)、寝室、廊下、その他の共有部分など、それぞれ組み立て直して広く公開している。この壁には何やら物語が描かれているようだ。

幾何学模様のモザイク画もたくさんあるが、このように翼をつけた勝利の女神ニケと思われるものもある。

こちらは紀元後2世紀の「海のティアソス」というモザイク画。ティアソスとは普通、ブドウと酒の神ディオニソス(バッコス)を祭る一団とされるが、海のティアソスという場合は海神ポセイドンを取り巻く一団を意味すると思われる。

こちらも紀元後2世紀のアフリカの「ナイル川畔」である。水辺にサイやワニがいる。

ここでは男と女が対になっていて、中央では裸の男女がプレゼントの授受をしているようだから、求婚を表現しているのだろう。

これはジュニウス・バッソ大聖堂にある大理石モザイクのパネルで、「ヒュラスとニンフ達」。ギリシア神話ヘラクレスに仕える美少年ヒュラスは、泉に水を汲みに行った時、美しさゆえに泉のニンフ(ニュムペー)達に水底に引きずり込まれてさらわれたという。

大理石の彫刻がいくつも並ぶが、一番奥の「円盤投げをする選手」は、紀元前5世紀の古代ギリシャの彫刻家・ミュロンの作品を紀元140年にローマの彫刻家・ランチェロッティが模倣したもの。中央のアポロン像は、紀元前4世紀のギリシア彫刻を2世紀に複製したもの。

こちらがマッシモ宮で必見といわれる「眠れるヘルマプロディートス」(Ermafrodito addormentato)。ガイド本では「眠れるヘルメス・アフロディーテ」と訳されているが、ヘルマプロディートスとするべきであろう。後ろ姿は惚れ惚れするほど美しい。

ヘルマプロディートスとは、ギリシア神話に登場する神で、ヘルメスを父にアプロディーテーを母に生まれた美少年だったが、水浴びの最中にニュンペーのサルマキスに一目惚れされ、強く抱きしめられた。サルマキスが「何者も私たちを引き離すことができないように」と神々に祈ったところ、願いは聞き入れられ、文字どおりに二人の体は合体して両性具有になったとされる。

左と中央はカラカラ帝の弟、ゲタの肖像。右はその父のセプティミウス・セヴェルス帝。セヴェルス帝の肖像の右にゲタの兄、カラカラ帝の肖像があった。セヴェルス帝の死後、遺言によりカラカラとゲタが皇帝に即位し、共同皇帝制が始まったが仲が悪く、ゲタはカラカラにより殺された。

マッシモ宮には大理石の石棺がいくつも展示されていて、精巧な戦いの場面が描かれている「ポルトナッチョの石棺」が傑作と呼ばれる。これはマルクス・クラウディアヌスの石棺のレリーフ古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスオクタウィアヌス)の妻、ユリア・アウグスタ(リウィア)の父である。

こちらは紀元前1世紀のブロンズ像で、「休む拳闘士」と呼ばれる作品。手にはローマ時代のボクシングのグローブをはめているが、一試合終えてホッと息をついている様子がとてもリアルである。
ローマ国立博物館のマッシモ宮は展示物が多いので、残念ながら大急ぎで見て回ることになった。