半坪ビオトープの日記

酒垂神社、コウノトリの郷


同じく豊岡駅の東6kmほどの所、円山川の支流・鎌谷川沿い、東隣の京都府京丹後市久美浜町へ通じる峠の入り口に酒垂神社がある。境内は京都市高雄から紅葉を移植し、今では紅葉の名所として知られる。境内入口の鳥居の両脇に石柵で囲まれた甕石があり、これは酒を汲み入れる瓶を指すという。

神社名は「さかたれ」と訓じ、社説によれば鎮座地に因む「坂垂れ」の意であるが、祭神が酒の神であるために「酒樽」に掛けられて「さかたる」とも称されるという。中近世には大蔵(倉)大明神とも称された。境内に隣接して酒米を作った神田があり、酒造用水として奥の谷間に湧く清水を使っていた。かつては神社で醸造した神酒を供える神事を行っていたが、明治以降自由な酒造が禁止されてから、氏子らが手作りの甘酒を供えていたそうだ。村芝居が行われたり、北但酒造組合が利き酒会を開いたり賑わっていたが、今では秋祭りぐらいという。それでも時折、杜氏が酒の神様をお参りに来るそうだ。

社伝によれば、白鳳3年(675)の夏に、当地を治めていた物部韓国連久々比命という郡司が贄田(神供用の稲を穫る田)に酒造所を造り、酒解子神、大解子神、子解子神の酒造3神を祀って神酒を醸造し、これを祖神に供えて五穀豊穣を祈願したのが創始であるとするが、この社伝は『国司文書』に依るもので信憑性に疑義があるため、言い伝えの域を出ない。
拝殿は入母屋造瓦葺である。

祭神として、酒美津男命(さかみずおのみこと)と酒美津女命を祀る。杜氏の祖神であり、宮中造酒司に守護神として祀られていた酒美豆男神、酒美豆女神とは同神であるという。

酒垂神社の本殿は一間社流造杮葺で、覆屋によって保護されている。棟札から、また蟇股の裏から発見された願文の墨書から、永享10年(1438)に建て始め、文安元年(1444)に遷宮を斉行し、宝徳元年(1449)頃完成したことが判明している。覆屋は宝永8年(1711)の大改造の際に新設され、その後、造替や改築がされている。本殿としては小規模だが一間社としては大きい方で意匠的にも大柄な木柄となっている。身舎の3方に高欄付きの縁を廻らし、正面階段下に浜縁(浜床)を設ける。

本殿の内部は幣軸付の板扉を設けて内陣と外陣に区画する。向拝中備えの蟇股の横に、転法輪の周囲に亀甲形を配した透彫の琵琶板を付ける点も珍しいという。
本殿(附棟札2枚)は国の重文に指定されている。

蟇股等が左右対称で葉飾の軸を脚の下部から出す点等に室町時代中期の古式に則った特徴を見せ、妻飾りの下端を窄め上端には形の崩れた木鼻を付けた大瓶束や軒下の出三斗には但馬の地方色が示される。

境内には摂末社が3社ある。大山祗神を祭神として祀るこの山神社は、字山の神に鎮座していたが、大正3年に境内に遷祀された。

左の稲荷神社は、保食命を祭神として祀っている。右の社は八幡神社である。

酒垂神社の手前に兵庫県立コウノトリの郷公園がある。平成11年に開園し、国の天然記念物であるコウノトリの保護・増殖を行いながら野生化させることを目的としている。周辺に広がる水田では「コウノトリ育む農法」として無農薬・減農薬栽培に取り組むなど、コウノトリとの共生可能な地域づくりに取り組んでいる。

豊岡市コウノトリ文化館コウノピアが公園に併設されていて、そこから飼育コウノトリが観察できる。

文化館内にはコウノトリの剥製や、コウノトリの解説及び野生復帰の解説パネルなどがある。