半坪ビオトープの日記

平和祈念公園


昼食後、帰りの便まで二手に分かれた。のんびり国際通りや壺屋やちむん通りを散策する焼き物趣味の人たちを下ろして、残りは南部戦跡巡りに向かった。本島南部の「沖縄戦終焉の地」平和祈念公園は、糸満市摩文仁の丘陵を南に臨み、東側に険しく美しい海岸線を眺望できる台地にある。南北約40haに広がる平和祈念公園の西側の駐車場から北東にある平和祈念資料館に向かう途中に、高さ45mの七面体角錐ドーム、沖縄平和祈念堂が建っている。第二次世界大戦最後の地上戦の舞台となり、最大の激戦地となった沖縄は、軍民合わせて約24万人余の尊い人命を失った。この悲惨な戦争を二度と繰り返さぬよう世界の人種や国家、思想や宗教の全てを超越した「世界平和のメッカ」として昭和53年(1978)にこの平和祈念堂は開堂した。堂内には沖縄を代表する芸術家山田真山氏が18年余の歳月をかけて原型を制作した高さ約12mの沖縄平和祈念像が安置されている。ほかにも西村画伯制作の絵画「戦争と平和」(20点連作、各300号)などが堂内壁面を飾っている。

沖縄平和祈念堂の前庭に「平和の鐘」が建っている。毎年6月23日の「慰霊の日」などの式典などの際にはこの鐘が打ち鳴らされるという。

沖縄平和祈念堂の前にはエントランス広場があり、その先に式典広場が続き、突き当たりに黒御影石で造られたアーチ型の「平和の丘」がある。丘の下にはトンネルを掘り、沖縄で「ガマ」と呼ばれる自然洞穴に見立ててあり、奥に進むと天井から「平和の光」が差し込む構造となっている。

エントランス広場の前を東に進むと、幾つもの建物が合体したような大きな沖縄県平和祈念資料館が建っている。第二次世界大戦尊い命を失った全ての人々に哀悼の意を表すとともに、悲惨な戦争の教訓を後世に伝え、世界の恒久平和の実現に寄与するために平和祈念公園内に設置された資料館で、昭和50年(1975)に開館した。

館内には、沖縄戦に関連する軍関係文書や個人所蔵の文書、ひめゆり学徒の手記などが収蔵・展示されている。2階の常設展示では、「住民の視点で捉えた沖縄戦」を展示理念とし、「沖縄戦への道」「鉄の暴風」「地獄の戦場」「沖縄戦の証言」「太平洋の要石」の5つのテーマで構成され、写真パネルをはじめ、145人の沖縄戦体験者の証言文、約1000人の証言映像などから沖縄戦の実像を明らかにしている。とりわけ衝撃を受けるのは、「地獄の戦場」である。日本守備軍は首里決戦を避けて南部へ撤退し、出血持久作戦をとった。その後、米軍の強力な掃討戦により追い詰められ、軍民入り乱れた悲惨な戦場と化した。壕の中では日本兵による住民虐殺や、強制による集団死、餓死があり、外では米軍による砲爆撃、火炎放射器などによる殺戮があって、まさに阿鼻叫喚の地獄絵の世界であった。

平和祈念資料館の2階からは、平和祈念公園の全景が眺められる。資料館に沿った南東方向を眺めると、樹木に囲まれた「平和の礎」の向こうに沖縄戦最大の激戦地となった「摩文仁の丘」が認められる。

資料館の一角には6階相当の展望塔があり、平和祈念公園及び周辺海岸などの全貌が眺められるので、是非とも訪れるのが良い。資料館の真下には、「戦さ世の傷痕」という屋外展示があり、その先には「平和の火」を中心に、同心円状に広がる「平和の礎」が立ち並ぶ。沖縄戦で亡くなった全ての人々の氏名を刻んだ祈念碑が「平和の礎」である。「平和の火」は、沖縄戦最初の米軍上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火と、被爆広島市の「平和の灯」、長崎市の「誓いの火」を合火し、1991年から灯し続けた火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものである。彼方の摩文仁の丘の上には、国立沖縄戦没者墓苑と各府県や各種団体の慰霊碑・慰霊塔が多数立ち並ぶ。

南東方向の摩文仁の丘の右側彼方には海が見える。沖縄本島最南端の荒崎や、崖の上から自決のため身を投げたという喜屋武岬、ひめゆりの塔など沖縄戦跡が集中する地域である。

展望塔から西を眺めると、高さ45mの最初に見た沖縄平和祈念堂が大きく見え、その左手に平和の鐘が小さく認められる。

展望塔から北東を眺めると、大海原の太平洋に向かって数十mの断崖が続いている。南の喜屋武岬からこの先のギーザバンタ(慶座絶壁)までの東西約7キロの断崖には、沖縄戦最後の6月、およそ兵3万、民間人10万人余りが追い詰められ、多くの命が失われたという。

資料館前の「戦さ世の傷痕」という屋外展示には、日本軍の酸素魚雷・日本軍の大砲・米軍の戦車キャタピラなどが展示されている。

平和祈念公園には、沖縄らしい花があちこちに植えられている。この情熱的な深紅の花は、中央アメリカ(西インド諸島)原産のテイキンザクラ(Jatropha integerrima)。和名の提琴桜とは、葉の形が提琴(バイオリン)を連想させ、花の形が桜に似ることに因む。樹高は3m以上になる。