半坪ビオトープの日記

仙巌園、曲水の庭

明けましておめでとうございます。昨年は山歩きが少ししかできず物足りなかったが、四国や南九州など頻繁に旅行して忙しく歩き回った。今年はもう少し山歩きを増やしたい。まだ南九州が続いていますが、数日、正月休みにします。

城山の3.5kmほど北東に、島津家19代光久が万治元年(1658)に別邸として造った庭園・仙巌園がある。受付を入るとすぐ前に大砲が置かれている。鉄製150ポンド砲で、鹿児島沿岸に配備されていた最大級の要塞砲を忠実に再現したものである。約68kgの鉄製の丸い弾を約3km飛ばす威力がある。その後ろに反射炉跡がある。大砲を鋳造するために鉄を溶かした西洋式の施設跡。斉彬が築かせ、安政3年(1856)に完成した2号炉と考えらえている。現在は基礎部だけ残り、全容は集成館の模型で見ることができる。

国道に面して仙巌園の正門が建っている。廃藩置県が行われた翌年、明治5年(1872)に薩摩藩最後の藩主29代島津忠義夫人達は、鶴丸城から磯に居住を移した。明治21年には忠義本人も鹿児島に移り、明治28年(1895)に鹿児島の大工・大重伊三治に命じて建てさせたのがこの正門である。用材は裏山の樟を使い、島津家の家紋・丸十紋と五七の桐紋が彫り込まれている。
仙巌園は、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な借景庭園が美しく、天下の名園といわれ、国の名勝に指定されている。

桜島は、約2万6千年前に鹿児島湾内の海底火山として活動を開始した活火山により形成された、地質学的には比較的新しい火山である。中央には北岳・中岳・南岳からなる御岳(おんたけ)が聳え、山腹に多くの側火山を配する。山頂(1117m)付近には植物がなく標高600m付近からススキなどの草が生え始め、標高が低くなるに従いヤシャブシノリウツギなどの低木が現れ、クロマツや広葉樹の林に続く。山麓付近はクロマツタブノキ、アラカシ、シイの林となり、北部にはスギやヒノキの人工林もある。文明、安永、大正、昭和の大噴火毎の溶岩上の植生が異なり、植生遷移の経過が観察される貴重な場所とされる。

小さな石祠には猫神が祀られている。17代島津義弘朝鮮出兵の際、従軍した猫の瞳孔の開き具合をもとに陣中で時刻を推定したと伝えられていて、その猫を「時の神様」として祀っているという。

敷地が1万5000坪ある仙巌園の北奥まで周遊すると、江南竹林がある。21代島津吉貴が元文元年(1736)に琉球を通じて2株取り寄せて植えたのが日本の孟宗竹の始まりといわれる。

江南竹林の先にバクチの木がある。暖地に自生する珍しい樹で樹皮は灰褐色で5月ごろ皮が大きく剥げ落ち紅黄色の美しい幹肌になる。皮が剥げ落ち裸になることから博打の木と名付けられたという。葉からバクチ水(せき止め)を作り、材はマホガニー代用として家具器具に用いられ、八丈島では樹皮から黄色染料を採る。

江南竹林のすぐ先(東)に曲水の庭がある。4月の曲水の宴では、川の流れに杯を浮かべ、雅やかな正装で和歌を詠む、江戸時代に戻ったような幻想的な宴の絵巻が繰り広げられる。昭和34年(1959)に火山灰に埋もれていた遺構が発掘された。国内曲水の庭遺構の中でも最大規模という。

岩に囲まれた池の向こうには茶室・秀成荘があり、彼方には桜島が望まれる。