半坪ビオトープの日記

木戸神社、サビエル聖堂


山口県庁の1kmほど南西に木戸神社がある。境内には約100本の吉野桜が植えられており、山口市の桜の名所として知られる。

明治維新に功のあった木戸孝允桂小五郎)は、萩に生まれ幕末には京都や江戸で国事に奔走したが、一時ここ糸米に居を構え、維新後東京に居を移した。明治10年(1877)の死去に際し、この地の本宅・山林を村へ寄付し村民の学資に充当するよう遺言した。

村民はこの本宅・山林を公債証書に換え、その利子で村民子弟の学資とした。村民はその威徳に報いるため、孝允旧宅の地に祠を建立し、明治19年には、この「木戸公恩徳碑」が建てられた。碑の篆額は三条実美による。

その祠を中心として木戸神社が創建された。二の鳥居は、額束を3つ持つ非常に珍しい形態をしている。

毎年4月には春季例大祭が行われ、少年剣道大会や子供神輿、子供相撲などの奉納行事が催される。

祭神は木戸孝允で、簡素な拝殿には孝允の写真が掲げられ、その奥の本殿も垣間見られるようになっている。

木戸神社から1kmほど東、県庁の南にある亀山公園の南端に、山口サビエル記念聖堂が建っている。旧聖堂は昭和25年(1950)のサビエル来日布教400周年にあたって建立が計画され、2年後に完成したが、平成3年に焼失した。平成10年に再建された新聖堂は、「神の幕屋(テント)」をイメージした三角形の聖堂である。両側には高さ53mの2つの塔が配され、向かって左の時計塔はキリストを意味するオブジェが盛り込まれており、右側の鐘塔は天からのメッセージを刻む9つの鐘が十字架とともに配置されている。1階はサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する記念館、2階は光と水をテーマとしたステンドグラスが美しい礼拝堂になっている。

フランシスコ・サビエルはスペインで生まれ、天文11年(1542)にイエズス会士としてインドのゴアに到着、アジアでの布教を始めた。天文18年(1549)に来日し、翌年に山口を訪れた。一旦京都に赴くが、1551年4月に山口を再訪し、西国一の大名といわれた大内義隆に謁見し、布教の許可を得る。9月に山口を去るまでの受洗者は500人を超えたといわれる。11月には豊後を出帆しインドへ向かう。翌年末、中国で客死した。山口は日本で最初にキリスト教が根付いた地で、その種を蒔いたのがサビエルであった。
記念聖堂の入り口前に、大きなサビエル像が礼拝者を迎えて立っている。

この赤い石碑は、ダミアン殉教の碑である。ダミアンは、山口で殉教した盲目の伝道師で、「神父なき教会で弾圧に動じず、病人を訪問し、洗礼を授け信徒を励まし福音宣教に奔走した。信徒使徒職の鑑と讃えられる」人物だそうだ。

敷地内に入るとすぐ左側に、大きな鐘とサビエルの銅像がある。銅像は、井戸の側で布教するサビエルである。