半坪ビオトープの日記

五所神社


湯河原駅から温泉街へ向かう途中、東海道新幹線をくぐったところに、巨木が屹立する五所神社が建っている。

鳥居の先には石段が続き、50mほど進んだところに拝殿が見える。古くは五所大明神社または五所大明神と称した。

境内に入ってすぐ右手の神木・楠の巨木は、周囲8.2m、高さ36m、推定樹齢600年で、かながわの名木100選に選定されている。

境内は何段にも区切られ、楠の神木があるのは二段目で、三段目に二の鳥居が立っている。

二の鳥居の後ろには自然石を組み合わせた灯籠が立ち、笠には苔が生えていて趣がある。

社伝によれば今から約1350年前、天智天皇の御代、加賀の国の住人・二見加賀之助重行らの手によりこの地方が開拓された時、土肥郷の総鎮守として以下五柱の神霊が鎮座されたと伝えられる。二見加賀之助重行は、湯河原開拓の折に温泉を発見したと言い伝えられ、湯河原温泉発見由来の諸説のうちの一つとされている。また、湯河原温泉は、万葉集に唯一詠われた長い歴史を持つ温泉で知られる。
足柄の土肥の河内に出づる湯の 世にもたよらに児ろが言はなくに 
 巻十四 東歌3368

土肥一族をはじめ藩主、領主、庶民の崇敬篤く、かつて康平3年(1060)源義家の奥羽征討に際し社家・荒井刑部実継が神霊の加護により軍功を立て、治承4年(1180)頼朝挙兵の時、当地の豪族・土肥二郎実平は頼朝の戦勝を祈願し佩刀を納めた。

元和7年(1621)代官守屋佐太夫が社殿を再建、その後も再建・修復を重ね、昭和15年に社殿を後退改築した。

祭神として、天照大神天忍穂耳尊瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火々出見尊、鸕鷥草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)など9柱の神を祀る。

神木の楠の右手にも推定樹齢800年の大イチョウがあるが、五所神社の向かいには町史跡の明神の楠がある。

明神の楠は、根回り15.6m、幹周囲11.8m、樹高18m、推定樹齢800年と、樹高は低いがどっしりとしている。根元の洞には地蔵尊を祀る小さな祠が設けられている。