半坪ビオトープの日記

仁右衛門島、弁天道


鴨川市太海漁港の沖合約200mに仁右衛門島がある。太海漁港は、黒潮を眼前に控え、小さい漁港ながら古くより好漁場をもつ漁港として栄えた。特にイワシやカツオ漁が盛んで、海岸の磯はアワビの好漁場でもあり高い漁獲量を誇った。太海産の鰹節は、「太海武士」の異名をとるほどに名を轟かせ、現在も太海の名産となっている。

仁右衛門島は全島砂岩よりなり、周囲約4km、面積約3万㎡の千葉県最大の島で、新日本百景にも選ばれた名勝地として知られる。

太海漁港の乗船場より手漕ぎの渡し船があり、約5分で渡れる。

島は個人所有となっていて、代々島主は平野仁右衛門を名乗り、現在の島主が推定で38代目。島主の名に因み仁右衛門島となったという。

太海浜の漁村は、背後に急峻な小山が屹立している丘陵地帯であり、狭い路地が複雑に入り組み迷路の様相を示す。太海漁港は、異色の漫画家・つげ義春の映画化もされた代表作「ねじ式」のモデルとなった場所としても知られ、作中の場面とほぼ同一の場所が現在も残り、見学者が後を絶たない。

売店もある休憩所を抜けて進むと、アロエの赤い花が咲き誇る中に島の案内板がある。石段をまっすぐ上っていけば島主住居に至るが、すぐ左に弁財天に向かう弁天道があるのでそちらに向かう。

島は夏涼しく冬暖かく、四季を通じて花が絶えることがないという。弁天道には水仙が咲き乱れ、アロエの花も咲く中を進む。

この弁天道は日当たりが良いせいか、右手に句碑や歌碑がいくつも立ち並んでいる。富安風生の句碑(初渚 ふみて齢を 愛しけり 九十四叟風生)の次には、比較的新しい岡本眸の句碑がある。
女手に 井のふたおもき 雪柳

さらに進むとまもなく、天保11年(1840)建立とかなり古い芭蕉塚がある。芭蕉はこの島には来ていないはずだが、芭蕉を敬愛する俳人達が江戸時代でも各地に句碑を建てている。これは、貞享元年(1684)尾張の熱田で詠まれた句である。
海暮て 鴨の聲 ほのかに白し     

その先には、源講修の歌碑が立っている。こちらも天保3年(1832)の建立である。
以津の世にひらき初けむ仙人の 壽美可に奈らふ古例の蓬島

弁天道の行き止まりの手前左手に弁財天があり、そこには長寿を授けるという寿老人も合祀されている。蓬島弁財天祠は、平家の時代に宮島から勧請したと伝えられている。現在の弁財天以前に別の場所に古弁天というものがあったともいわれるが、跡はあるものの詳細は不明という。

弁財天の先で行き止まりとなり、亀岩展望所があって西には太海漁港が見え、北には鴨川方面が遠くに望まれる。