半坪ビオトープの日記

養老渓谷


養老渓谷は、房総半島の鴨川市にある清澄山北面の麻綿原高原に源を発し、蛇行しながら北上して市原市の五井海岸まで流れる、養老側の上流にある。
養老川沿いには、民宿や温泉旅館が10数件集まる養老渓谷温泉郷がある。温泉としての歴史は100年ほどと浅く、泉温19℃ほどの塩化物泉の鉱泉である。鄙びた温泉街にある駐車場から案内に従って、小さな隧道をくぐって出たところに養老川が流れ、共栄橋が架かっている。時節柄か流量もそれほど多くなく、静かな流れに沿って中瀬遊歩道が整備されている。

振り返って上流を見ると、川べりに「川の家」という一軒宿がある。1970年代に人気を博した漫画家のつげ義春が宿泊したことで知られる。その様子は、断筆後に執筆出版された「貧困旅行記」に詳しく書かれているという。

養老の名の由来は、一説に膝の裏を表す古語の「よぼろ」という言葉が、屈曲の多い川の様子を表したといわれる。現在の養老という字が当てられたのは江戸時代以降で、それ以前は「用路川」や「勇露川」という字が、さらに以前には「与保呂」が当てられていた。
中瀬遊歩道はまもなく途切れ、川を渡って右手の岸を上っていく。

藪の間から弘文洞跡が見える。今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流・蕪来川(夕木川)を川廻しした際に造った隧道の跡である。

弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ、本流に注ぐ合流点にあることから弘文洞と命名された。しかし、昭和54年(1979)に頭頂部が崩壊した。

再び川を渡る。渡り終えたところで振り返ってみた。川の流れは依然として穏やかである。

やがて竹藪が現れ、中瀬キャンプ場の敷地の中を通り過ぎると、三たび川を渡る。

朱色の太鼓橋・観音橋を左に見て元の温泉街の道路に出る。

養老川を遡っていくと滝がいくつもあって滝巡り遊歩道がある。一番大きな粟又の滝は、全長100mあって房総一を誇り、養老の滝とも呼ばれる。
12月も下旬になるとモミジもすっかり影を潜め見る影もないが、12月上旬までは紅葉で渓谷は赤く色づくという。

粟又の滝から小沢又の滝まで、下流に向かって養老川沿いに約2kmの自然遊歩道がある。

ところが遊歩道の一部が崩落により、残念ながら半年ほど前からほとんどが通行止めとなっている。