半坪ビオトープの日記

高滝ダム、山口地蔵菩薩


市原から養老渓谷へは小湊鉄道と国道が通じているが、その中間点辺りに高滝ダムによりできた高滝湖がある。平成2年に完成した高滝ダムは、房総半島中部を貫流する養老川の氾濫を防ぐなどの多目的ダムで、堤高24.5mに対して堤頂長が379mと長く、堤体積が総貯水容量と比較して小さい特徴がある。

ダム湖の高滝湖周辺に高滝ダム記念館や水生植物園などがあり、高滝湖ではブラックバス釣りや冬季にはワカサギ釣りなどが行われ、貸しボートも用意されている。

高滝ダム記念館の近くに山口地蔵堂がある。山口の西北に連なる音信山(おとずれやま)に昔、池和田の光明寺があり、光明寺縁起を見るとこの地蔵尊は元は光明寺の本尊だったと推定されている。時期は不明だが光明寺が池和田に移転するとき、地蔵尊のあまりの大きさに養老川を渡れず、麓の山口村に置いていったと伝えられている。
手前の建物が十一面観音堂で、奥の保管庫に木造地蔵菩薩坐像が安置されている。

元の地蔵堂は大正6年の大暴風雨により倒壊し地蔵像もひどく損傷を受けた。再建された茅葺のお堂も荒廃していたので、ようやく戦後になって像も修復し、鉄筋コンクリートの保管庫も建設された。

この木造地蔵菩薩の像高は2.73mあり、丈六の木造の地蔵菩薩坐像としては全国的にも最大級である。左手に宝珠をとり、右手に錫杖を持つ。材質は檜の寄木造りで、彫眼、首の部分は二道を刻んでいる。頭・顔・胸・手などの肌の部分は漆箔で、衣や膝前などは彩色が施されている。

顔立ちは後世の手が加わり室町時代以降に見られる面長の顔となっているが、体の奥行きが深く、膝も広く張っていて堂々とした姿や、衣の襞の彫りが深いことなどから、鎌倉時代の作と考えられている。
堂内には修理前の地蔵像の姿や修理の様子、修復後の開眼供養の祭りの様子などが写真で展示されている。像内の梵字の墨書の写真も掲示されている。

保管庫の左手には石碑や地蔵菩薩像などの石仏がたくさん並べられているが、かなり傷みが激しく苔むしていて石碑を読み解くことはできない。